日本語の、口語体における文体
『だ・である体(だ・である調)』
『です・ます体(です・ます調)、でございます体、であります体』
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【日本語の、口語体における文体】
「常体(普通体)」と「敬体(丁寧体)」
- 日本語の口語体での文体は、文末の表現をどのようにするか(どのような助動詞を用いるか)によって、「常体(普通体)」と「敬体(丁寧体)」の2種類に大きく分けられます。
- 常体は、「だ・である体(だ・である調)」などとよばれ、
- 敬体は、「です・ます体(です・ます調)、でございます体、であります体」などとよばれます。
- 通常、文章を書く場合はどちらかに統一するのが望ましいとされます。
- ここでは、芥川龍之介の作品を例に文体を見てみます。
【芥川龍之介の作品に見る文体】
■ 常体「だ・である体(だ・である調)」
『羅生門』
ある日の暮方の事である。一人の 下人が、 羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々 丹塗の 剥げた、大きな 円柱に、 蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、 朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする 市女笠や 揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか 辻風とか火事とか饑饉とか云う 災がつづいて起った。そこで 洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その 丹がついたり、金銀の 箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、 薪の 料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、 狐狸が 棲む。 盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
(中略)
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった 檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い 白髪を 倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、 黒洞々たる夜があるばかりである。
下人の 行方は、誰も知らない。
【芥川龍之介の作品に見る文体】
■ 敬体「です・ます体(です・ます調)、でございます体、であります体」
『杜子春』
或春の日暮です。
唐の都 洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を 費い尽して、その日の暮しにも困る位、 憐な身分になっているのです。
何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、 繁昌を 極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった 紗の帽子や、 土耳古の女の金の 耳環や、 白馬に飾った色糸の 手綱が、絶えず流れて行く 容子は、まるで画のような美しさです。
しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を 凭せて、ぼんやり空ばかり 眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと 靡いた 霞の中に、まるで爪の 痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。
『蜘蛛の糸』
ある日の事でございます。 御釈迦様は極楽の 蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている 蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある 金色の 蕊からは、何とも云えない 好い 匂が、 絶間なくあたりへ 溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちに 御佇みになって、水の 面を 蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の 容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度 地獄の底に当って居りますから、 水晶のような水を透き徹して、 三途の河や針の山の景色が、丁度 覗き 眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。
するとその地獄の底に、 犍陀多と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに 蠢いている姿が、御眼に止まりました。この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな 蜘蛛が一匹、路ばたを 這って行くのが見えました。そこで犍陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を 無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
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Last updated : 2024/06/29