『雑節』節分、彼岸、入梅、土用など 今年の土用の丑の日は? 土用の丑の日の鰻= 「かばやき」を説明する歴史的文献 = 大伴家持が詠んだ「鰻」 食べるようになったのはいつ頃? 平賀源内はキャッチコピーを考えたのか? 「かばやき」を説明する歴史的文献 「今日 うしの日」の文字が見られる図絵 『 近世職人尽絵詞 』に見る「蒲焼き屋」 江戸時代の黄表紙などに見る蒲焼き 広重が描いた蒲焼き 明治から昭和初期の文芸作品 《 「かばやき」を説明する文献 》 ここでは、「かばやき」を説明する文献のいくつかを見てみる。 『 大草家料理書 』 足利時代(室町時代)(1336 〜 1573)の終わり頃に成立したのではないかとされる、『 大草家料理書 ( おおくさけりょうりしょ ) 』に「うなぎ鱠(なます)」「宇治丸(うじまる) かばやきの事」という項目が見られる。 一 うなぎ鱠は 醤油を薄くして魚にかけて。少し火酒を交て付る也。また、山椒味噌付て出しても吉也。 一 宇治丸 かばやきの事 丸にあぶりて後に切也。醤油と酒と交ぜて付る也。又山椒味噌付て出しても吉也。 『大草家料理書』(群書類従. 第拾貳輯より)(国立国会図書館) 「宇治丸」は、京都府宇治市の特産である鰻鮨(うなぎずし) の異名とされ、蒲焼きのことも言うとされる。 この「大草家料理書」での蒲焼きは、丸ごと焼いてから切り、たれをを付けて食べるとされている。 『 大草家料理書 ( おおくさけりょうりしょ ) 』は、『 足利公方御預料理方之大草記録 ( あしかがくぼうおんあずかりりょうりかたのおおくさきろく ) 』とも。 「大草家料理書」の成立時期について 国立国会図書館レファレンス協同データベース 『 料理物語 』 寛文4年〈1664年〉 の版とされる『料理物語』に、「うなぎ」でどのような料理が作られるかが見られ、その中の一つに「かばやき」が出て来る。 〔うなぎ〕 なます、さしみ、すし、かばやき、こくせう、杉やき、さんせうみそやき、此外色々 「かばやき」が見られるが、料理法は書かれていない。 「こくせう」は、味噌味で濃く仕立てた汁物の「 濃漿 ( こくしょう ) 」 か。 「さんせうみそやき」は、「山椒味噌焼き」。 『料理物語』(雑芸叢書. 第一より)(国立国会図書館) 「料理物語」は、江戸時代の料理書で、物語として伝聞されてきた料理法などをまとめ、寛永20年〈1643年〉に刊行されたものが底本とされる。寛永20年の出版後は幅広く読まれ、寛文4年〈1664年〉までに7種の異版が出ている。(Wikipedia ) 『 和漢三才図絵 』 大坂の医師 寺島良安 ( てらじまりょうあん ) が編集し、正徳2年〈1712年〉 に成立した、『 和漢三才図会 ( わかんさんさいずえ ) 』という江戸時代中期の文献の「うなぎ」の項目に「馥焼(カバヤキ)」が見られる。 (要約) 馥焼(かばやき) 中ぐらいの鰻をさいて腸を取り去り、四切れか五切れにし、串に貫いて醤油あるいは味噌をつけて、あぶり食べる。味は甘香(かんばし)くて美なり、あるいは蓼醋(たです)にひたして食べる者もあり。多く食べると頬悶して死に至ることあり。之は酸を得て鰻肉が腹中で膨張する故なり。 「かばやき」には、「馥」の字が当てられている。「馥」は、音で「フク」、訓で「かおり」。 「かば」という読み方はないようだが、「かんばしい」「ゆたかな香り」という意味から当てたものか。 「鰻」は、「鰻鱺」としている。 後述の『近世職人尽絵詞』 では、「かばやき(蒲焼)は、か(香)はよ(能)きの相通なり」としている。 『和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻. [35] 鰻鱺 』(国立国会図書館) 「和漢三才図会」表紙の例 (国立国会図書館所蔵) 『 和漢三才図会 ( わかんさんさいずえ ) 』(倭漢三才図会とも) は、中国・明の 王圻 ( おうき ) による類書『 三才図会 ( さんさいずえ ) 』を模して編纂された日本で初めての絵入りの百科事典で、脱稿までに、寺島良安20歳代後半からおよそ30年余りかかり、正徳2年〈1712年〉 に成立した。全体は105巻81冊に及ぶ。 『和漢三才図会 全巻目次』(国立国会図書館) 大伴家持が詠んだ「鰻」 食べるようになったのはいつ頃? 平賀源内はキャッチコピーを考えたのか? 「かばやき」を説明する歴史的文献 「今日 うしの日」の文字が見られる図絵 『 近世職人尽絵詞 』に見る「蒲焼き屋」 江戸時代の黄表紙などに見る蒲焼き 広重が描いた蒲焼き 明治から昭和初期の文芸作品 『雑節』節分、彼岸、入梅、土用など 今年の土用の丑の日は? おすすめサイト・関連サイト…