『雑節』節分、彼岸、入梅、土用など 今年の土用の丑の日は? 土用の丑の日の鰻= 江戸時代の黄表紙などに見る蒲焼き = 大伴家持が詠んだ「鰻」 食べるようになったのはいつ頃? 平賀源内はキャッチコピーを考えたのか? 「かばやき」を説明する歴史的文献 「今日 うしの日」の文字が見られる図絵 『 近世職人尽絵詞 』に見る「蒲焼き屋」 江戸時代の黄表紙などに見る蒲焼き 広重が描いた蒲焼き 明治から昭和初期の文芸作品 《 鰻や、鰻の蒲焼きを描いた江戸時代の黄表紙などに見る蒲焼き 》 黄表紙「唯心鬼打豆(ただごころおにうちまめ) 」 (山東京伝・寛政4年〈1792年〉) (国立国会図書館蔵) 「江戸前 大蒲焼」と看板が出され、職人が大きな鰻を料理するのを客が見て喜んでいる。 手前の職人は炭火で蒲焼を焼いている。 黄表紙「三世相郎満八算」 (歌川豊国・寛政9年〈1797年〉) (国立国会図書館蔵) 障子と看板の行灯に「大蒲焼 附けめし」と書かれ、蒲焼きにご飯を付けて売る店の様子。 行灯には「江戸前」の文字も見られる。 人情本「娘消息」 (三文舎自楽作 静斎英一画 天保5年〈1834年〉~天保10年〈1839年〉) (国立国会図書館蔵) 土用うなぎを食べ損なったと、別の日に「鰻飯」を食べる徳兵衛とお仲。 徳「(略)コウお仲さん。 煮肴(にざかな) はいいにしねへ。おれが南一(なんいち) はづむから鰻を取って食はうしやァねへか」 お仲「ヲヤ何だへおよしな。無駄な 事(こつ) たよ」 徳「ナニむだなもんか。おらァ土用うなぎを 食(くらひ)そくなったから。丁度今日は誂向(あつらへむき) だ」 お仲「さうかねそれじぢやァ私もお相伴をするよ」(略)トうなぎやさして出てゆく。是れより程なく鰻も来り。両人はさしむかひにて。うなぎ飯を 食(くらひ)ながら(略) 太字は、当サイトで付けた。 『娘消息(初編下之巻・第三回)』(国立国会図書館) 「江戸名所百人一首(神社仏閣江戸名所百人一首)」 (近藤清春・江戸中期) (国立国会図書館蔵) 参議雅経 『みきしのの やすみかばやき さけうけて 深川とへば ここぞ八まん』 深川八幡宮門前の蒲焼屋の、「めいぶつ大かばやき」と書かれた行灯が見られる。 蒲焼きを焼く脇で、客が串刺しの蒲焼きを食べている。 狂歌からすると、酒も飲んでいる。 川柳集「誹風柳多留」に見られる川柳 丑の日に 籠でのり込む 旅鰻(柳多留七三) 土用丑 のろのろされぬ 蒲焼屋(柳多留七四) *『誹風柳多留』は、明和2年〈1765年〉から天保11年〈1840年〉にかけて167編が刊行された。 大伴家持が詠んだ「鰻」 食べるようになったのはいつ頃? 平賀源内はキャッチコピーを考えたのか? 「かばやき」を説明する歴史的文献 「今日 うしの日」の文字が見られる図絵 『 近世職人尽絵詞 』に見る「蒲焼き屋」 江戸時代の黄表紙などに見る蒲焼き 広重が描いた蒲焼き 明治から昭和初期の文芸作品 『雑節』節分、彼岸、入梅、土用など 今年の土用の丑の日は? おすすめサイト・関連サイト…