私は京都に生まれ、京都で二十年育ったために、京、大阪に詳しい。その後、東京に暮して東京も知るところが多い。従って批判する場合、
依怙贔屓がないといえよう。うなぎの焼き方についても、東京だ大阪だと
片意地はいわないが、まず批判してみよう。
夏の季節は、どこも同じように、一般にうなぎに舌をならす。従ってうなぎ談義が
随所に花を咲かせる。うなぎ屋もこの時とばかり「土用の
丑の日にうなぎを食べれば健康になる」とか「夏やせが防げる」とかいって、宣伝にいとまがない。
一般的に、食欲の著しく減退しているこの時期に、うなぎがもてはやされるというのは、うなぎが特別扱いに
価する美味食品であることに由来しているようだ。だが、ひと口にうなぎといっても、多くの種類があり、良否があるので、頭っからうなぎを「特別に
美味いもの」と、決めてかかるのはどうだろうか。
(略)
最後に、うなぎはいつ頃がほんとうに美味いかというと、およそ暑さとは対照的な一月寒中の頃のようである。だが、妙なもので寒中はよいうなぎ、美味いうなぎがあっても、
盛夏のころのようにうなぎを食いたいという要求が起こらない。美味いと分っていても人間の生理が要求しない。しかし、盛夏のうだるような暑さの中では、冬ほどうなぎは美味ではないけれど、食いたいとの欲求がふつふつと
湧き起こって来る。これは多分、暑さに圧迫された肉体が渇したごとく要求するせいであって、夏一般にうなぎが
寵愛されるゆえんも、ここにあるのであろう。もちろん、一面には土用の
丑の日にうなぎと、永い間の習慣のせいもあろう。