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■ 使い方と説明
- 下の枠の番号や作家名、作品名などをクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。
- 主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
- 詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
- このページでは、『作家別・は行』の作品の「書き出し」、つまり作品の最初の部分を表示します。
- 「書き終わり・結び」は別のページで見ることができます。「書き終わり・結びを見る」をクリックしてください。
- 「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
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1.林芙美子 「晩菊」
夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、きんは、一年ぶりにねえ、まァ、そんなものですかと云つた心持ちで、電話を離れて時計を見ると、まだ五時には二時間ばかり間がある。まづその間に、何よりも風呂へ行つておかなければならないと、女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。けつして自分の老いを感じさせては敗北だと、きんはゆつくりと湯にはいり、帰つて来るなり、冷蔵庫の氷を出して、こまかくくだいたのを、二重になつたガーゼに包んで、鏡の前で十分ばかりもまんべんなく氷で顔をマッサアジした。
2.林芙美子 「放浪記(初出)」
十月×日
一尺四方の四角な天窓を眺めて、始めて紫色に澄んだ空を見た。
秋が来たんだ。コック部屋で御飯を食べながら私は遠い田舎の秋をどんなにか恋しく懐しく思った。
秋はいゝな……。
今日も一人の女が来た。マシマロのように白っぽい一寸面白そうな女。厭になってしまう、なぜか人が恋いしい。
そのくせ、どの客の顔も一つの商品に見えて、どの客の顔も疲れている。なんでもいゝ私は雑誌を読む真似をして、じっと色んな事を考えていた。やり切れない。
なんとかしなくては、全く自分で自分を朽ちさせてしまうようだ。
3.樋口一葉 「大つごもり」
井戸は車にて綱の長さ十二 尋、勝手は北向きにて 師走の空のから風ひゆう/\と吹ぬきの寒さ、おゝ堪えがたと 竈の前に火なぶりの一分は一時にのびて、 割木ほどの事も 大臺にして叱りとばさるゝ 婢女の身つらや、はじめ 受宿の 老媼さまが言葉には御子樣がたは 男女六人、なれども常住内にお出あそばすは御總領と末お二人、少し 御新造は機嫌かいなれど、目色顏色呑みこんで仕舞へば大した事もなく、
4.樋口一葉 「たけくらべ」
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に 燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の 行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、 大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、 三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる 大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき 形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある 田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、
5.樋口一葉 「にごりえ」
おい木村さん 信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで 二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來るからさう思ひな、ほんとにお 湯なら歸りに 屹度よつてお呉れよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯しながら 後刻に後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後にも無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がないねと店に向つて 閾をまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷だね、何もそんなに案じるにも及ぶまい 燒棒杭と何とやら、又よりの戻る事もあるよ、
6.福沢諭吉訳 トマス・ジェファーソン 「アメリカ独立宣言」
千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州
独立ノ檄文
人生 已ムヲ得ザルノ時運ニテ、一族ノ人民、他国ノ政治ヲ離レ、物理天道ノ自然ニ従テ世界中ノ万国ト同列シ、別ニ一国ヲ建ルノ時ニ至テハ、其建国スル 所以ノ原因ヲ述ベ、人心ヲ察シテ之ニ布告セザルヲ得ズ。
天ノ人ヲ生ズルハ億兆 皆同一轍ニテ、之ニ附与スルニ動カス可カラザルノ通義ヲ以テス。 即チ其通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ、他ヨリ之ヲ如何トモス可ラザルモノナリ。 人間ニ政府ヲ 立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ 初テ真ニ権威アルト云フベシ。
7.福沢諭吉 「学問のすすめ」
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら 貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を 資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と 泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『 実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる 力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
8.二葉亭四迷訳 イワン・ツルゲーネフ 「あいびき」
秋九月中旬というころ、一日自分がさる 樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま 煖かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて 怜悧し 気に見える人の眼のごとくに 朗かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で 幽かに 戦いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。
9.二葉亭四迷 「浮雲」
千早振る 神無月ももはや跡 二日の 余波となッた二十八日の午後三時頃に、 神田見附の内より、 塗渡る 蟻、散る 蜘蛛の子とうようよぞよぞよ 沸出でて来るのは、 孰れも 顋を気にし 給う方々。しかし 熟々見て 篤と 点撿すると、これにも 種々種類のあるもので、まず 髭から書立てれば、口髭、 頬髯、 顋の 鬚、 暴に 興起した 拿破崙髭に、 狆の口めいた 比斯馬克髭、そのほか 矮鶏髭、 貉髭、ありやなしやの幻の髭と、濃くも 淡くもいろいろに 生分る。
10.二葉亭四迷 「平凡」
私は 今年三十九になる。 人世五十が 通相場なら、まだ 今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に 呆気ない。まだまだと云ってる 中にいつしか此世の 隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら 足掻いたって 藻掻いたって 追付かない。覚悟をするなら今の 中だ。
11.堀辰雄 「風立ちぬ」
それらの夏の日々、一面に 薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ 茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……
そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
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Last updated : 2024/06/28