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■ 使い方と説明
- 下の枠の番号や作家名、作品名などをクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。
- 主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
- 詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
- このページでは、『作家別・な行』の作品の「書き出し」、つまり作品の最初の部分を表示します。
- 「書き終わり・結び」は別のページで見ることができます。「書き終わり・結びを見る」をクリックしてください。
- 「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
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1.直木三十五 「南国太平記」
高い、梢の若葉は、早朝の微風と、和やかな陽光とを、健康そうに喜んでいたが、鬱々とした大木、老樹の下蔭は、薄暗くて、密生した灌木と、雑草とが、未だ濡れていた。
樵夫、猟師でさえ、時々にしか通らない細い 径は、草の中から、ほんの少しのあか土を見せているだけで、両側から、枝が、草が、人の胸へまでも、頭へまでも、からかいかかるくらいに延びていた。
その細径の、灌木の上へ、草の上へ、陣笠を、肩を、見せたり、隠したりしながら、二人の人が、登って行った。陣笠は、裏金だから士分であろう。前へ行くその人は、六十近い、 白髯の人で、 後方のは供人であろうか? 肩から紐で、木箱を腰に垂れていた。二人とも、白い下着の上に黄麻を重ね、裾を 端折って、紺 脚絆だ。
2.中里介山 「大菩薩峠 甲源一刀流の巻」
大菩薩峠は江戸を西に 距る三十里、甲州裏街道が 甲斐国東山梨郡 萩原村に入って、その最も高く最も 険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
標高六千四百尺、昔、貴き 聖が、この 嶺の 頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を 埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは 笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を 湿おし田を 実らすと申し伝えられてあります。
3.中島敦 「山月記」
隴西の 李徴は博学 才穎、天宝の末年、若くして名を 虎榜に連ね、ついで 江南尉に補せられたが、性、 狷介、 自ら 恃むところ 頗る厚く、 賤吏に甘んずるを 潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、 故山、 略に 帰臥し、人と 交を絶って、ひたすら詩作に 耽った。下吏となって長く 膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に 遺そうとしたのである。
4.中島敦 「李陵」
漢の 武帝の 天漢二年秋九月、 騎都尉・ 李陵は歩卒五千を率い、 辺塞遮虜を発して北へ向かった。 阿爾泰山脈の東南端が 戈壁沙漠に没せんとする辺の 磽たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。 朔風は 戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。
5.長塚節 「土」
烈しい 西風が 目に 見えぬ 大きな 塊をごうつと 打ちつけては 又ごうつと 打ちつけて 皆痩こけた 落葉木の 林を一 日苛め 通した。 木の 枝は 時々ひう/\と 悲痛の 響を 立てゝ 泣いた。 短い 冬の 日はもう 落ちかけて 黄色な 光を 放射しつゝ 目叩いた。さうして 西風はどうかするとぱつたり 止んで 終つたかと 思ふ 程靜かになつた。 泥を 拗切つて 投げたやうな 雲が 不規則に 林の 上に 凝然とひつゝいて 居て 空はまだ 騷がしいことを 示して 居る。それで 時々は 思ひ 出したやうに 木の 枝がざわ/″\と 鳴る。 世間が 俄に 心ぼそくなつた。
6.夏目漱石 「草枕」
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば 角が立つ。 情に 棹させば流される。意地を 通せば 窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが 高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと 悟った時、詩が生れて、 画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒 両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った 人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば 人でなしの国へ行くばかりだ。 人でなしの国は 人の世よりもなお住みにくかろう。
7.夏目漱石 「虞美人草」
「随分遠いね。 元来どこから登るのだ」
と 一人が 手巾で 額を拭きながら立ち 留った。
「どこか 己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
と顔も 体躯も四角に出来上った男が 無雑作に答えた。
反を打った中折れの茶の 廂の下から、深き 眉を動かしながら、見上げる頭の上には、 微茫なる春の空の、底までも 藍を漂わして、吹けば 揺くかと怪しまるるほど柔らかき中に 屹然として、どうする気かと 云わぬばかりに 叡山が 聳えている。
8.夏目漱石 「行人」
梅田の 停車場を 下りるや 否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ 俥を 雇って 岡田の家に 馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ 疎い親類とばかり覚えていた。
大阪へ下りるとすぐ彼を 訪うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に 阪地で落ち合おう、そうしていっしょに 高野登りをやろう、もし 時日が許すなら、伊勢から名古屋へ 廻ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
9.夏目漱石 「こころ」
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を 憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を 執っても心持は同じ事である。よそよそしい 頭文字などはとても使う気にならない。
10.夏目漱石 「三四郎」
うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに 頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり 肌をぬいだと思ったら背中にお 灸のあとがいっぱいあったので、 三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。
11.夏目漱石 「それから」
誰か 慌たゞしく 門前を 馳けて行く 足音がした時、 代助の 頭の 中には、大きな 俎下駄が 空から、ぶら 下つてゐた。けれども、その 俎下駄は、 足音の 遠退くに従つて、すうと 頭から 抜け 出して消えて仕舞つた。さうして 眼が覚めた。
枕元を見ると、八重の 椿が 一輪畳の上に落ちてゐる。 代助は 昨夕床の 中で慥かに此花の落ちる 音を聞いた。彼の耳には、それが 護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が 更けて、 四隣が静かな 所為かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、 肋のはづれに 正しく 中る 血の 音を 確かめながら 眠に就いた。
12.夏目漱石 「彼岸過迄」
敬太郎はそれほど 験の見えないこの間からの運動と奔走に少し 厭気が 注して来た。元々 頑丈にできた 身体だから単に 馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ 懸ったなり 居据って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す 途端にすぽりと 外れたりする 反間が 度重なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し 癪も手伝って、飲みたくもない 麦酒をわざとポンポン抜いて、できるだけ 快豁な気分を自分と 誘って見た。けれどもいつまで 経っても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が 退かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。
13.夏目漱石 「坊っちゃん」
親譲りの 無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど 腰を 抜かした事がある。なぜそんな 無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が 冗談に、いくら 威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と 囃したからである。 小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな 眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす 奴があるかと 云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
14.夏目漱石 「道草」
健三が遠い所から帰って来て 駒込の奥に 世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の 淋し 味さえ感じた。
彼の 身体には新らしく 後に見捨てた遠い国の 臭がまだ付着していた。彼はそれを 忌んだ。一日も早くその臭を 振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。
彼はこうした気分を 有った人にありがちな 落付のない態度で、 千駄木から 追分へ出る通りを日に二返ずつ規則のように往来した。
15.夏目漱石 「明暗」
医者は 探りを入れた 後で、手術台の上から
津田を 下した。
「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この 前探った時は、途中に 瘢痕の 隆起があったので、ついそこが 行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、 今日疎通を好くするために、そいつをがりがり 掻き落して見ると、まだ奥があるんです」
「そうしてそれが腸まで続いているんですか」
「そうです。五分ぐらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」
津田の顔には苦笑の 裡に淡く盛り上げられた失望の色が見えた。医者は白いだぶだぶした上着の前に両手を組み合わせたまま、ちょっと首を傾けた。その様子が「御気の毒ですが事実だから仕方がありません。医者は自分の職業に対して 虚言を 吐く訳に行かないんですから」という意味に受取れた。
16.夏目漱石 「門」
宗助は 先刻から 縁側へ 坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に 胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。 秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の 下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。 肱枕をして軒から上を見上げると、 奇麗な空が一面に 蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に 較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして 緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、 眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、 眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして 障子の方を向いた。障子の中では細君が 裁縫をしている。
17.夏目漱石 「吾輩は猫である」
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと 見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記
憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番 獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を 捕えて 煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の 掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの 見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで 薬缶だ。
18.新美南吉 「ごん狐」
これは、 私が小さいときに、村の 茂平というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、私たちの村のちかくの、 中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん 狐」という狐がいました。ごんは、 一人ぼっちの小狐で、 しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、 菜種がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、 百姓家の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。
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Last updated : 2024/06/28