「書き終わり・結び」

 「書き終わり・結び」 <作家別・な行>

『な行』の「書き出し」を見る
下の文字をクリックすると、説明や文章が出たり消えたりします。
  使い方と説明
  • 下の枠の番号や作家名、作品名などをクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。
  • 主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
  • 詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
  • このページでは、『作家別・な行』の作品の「書き終わり・結び」、つまり作品の最後の部分を表示します。
  • 「書き出し」は別のページで見ることができます。「書き出しを見る」をクリックしてください。
  • 「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
1.直木三十五 「南国太平記」  

「有村っ」
 有村が、振向いて
「五代っ」
 と、叫んだ。そして、手を挙げて、各々の名を呼んだ。そして、一寸、佇んだ、が、すぐ、山蔭へ――
「おーい」
 と、呼ぶと
「おーい」
 と、答えた。別離の悲しみが、胸いっぱいであると同時に、未来に対する希望が、明るい金のからすの形となって、若者の、軽輩の青年の頭の中を、狂った如く、飛び翔っていた。
(倒せても、倒せなくても、徳川を倒さずには、おくものか。斉彬公が、そう仰しゃっていた)
(取れても、取れなくっても、天下を取らずにおくものか。斉彬公が、そう仰しゃっていた)
(やれても、やれなくっても、吾等軽輩はやらずにおくものか。斉彬公が、そう仰しゃっていた)
 行く者は、東へ、送る者は、城下へ。それは、長い距離を離れていたが、心は一つであった。斉彬の死によって、一新した心は、斉彬の遺志をべさすために、十分の熱と、力とをもっていた。
 関所を抜けたらしく、四人の姿は、牧を追って山内と闘った道の辺に、小さく見えて来た。もう、声は届かなかったが、お互に、手を挙げ、手を挙げしながら――遠ざかり、曲り、そして、別れてしまった。
2.中里介山 「大菩薩峠 甲源一刀流の巻」  

 竜之助は術も魂も打込んで見惚みとれてしまったのです。前にも後にもこのような鮮やかな手筋を見たことがない、見ようとて見られるわけのものでもない。最初にはなにを島田が! 次には、ああ思ったよりえた腕! その次はすごい! 最後には神か人か!
 だんだんに変化して行く心のうつり目が、かの前後の敵を一刀に斬り捨てたところに至って言句も思慮も及ばなくなりました。そうして最後に到着した結論は「我ついにこの人に及ばず」です。
 この結論は竜之助にとって生命をむしり取られるほどにつらい、けれども、どの手を行ってもこのほかに打つ手はない。
 この時ようよう起き上ったのが土方歳三で、彼は悲憤の涙で男泣きのていです。打ち落された刀を拾い取って同志十三人の死屍しし縦横たる中へ坐り直し、刀を取り直して腹に突き立てようとする。
 愕然がくぜんとしてめた机竜之助は、走り寄って土方の刀を押えます。
3.中島敦 「山月記」  

 一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地をながめた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮ほうこうしたかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
4.中島敦 「李陵」  

 漢書かんじょ匈奴伝きょうどでんには、その後、李陵の胡地でもうけた子が烏籍都尉うせきといを立てて単于とし、呼韓邪こかんや単于ぜんうに対抗してついに失敗した旨が記されている。宣帝せんてい五鳳ごほう二年のことだから、李陵が死んでからちょうど十八年めにあたる。李陵の子とあるだけで、名前は記されていない。
5.長塚節 「土」  

内儀かみさんはふとおもしてすこしばかりの銀貨ぎんくわ勘次かんじそばならべて
「そりやさうと、おまへ家族うちきまりをつけるつもりだつていふんだが、まあどうするつもりなんだね」としづかいた。
「さうでござんすね」勘次かんじはぐつたりと俛首うなだれて言辭ことばしりきとれぬほどであつた。ふかうれひ顏面かほしわつよきざんだ。
「わしもれ……」とかれかすかにいつたのみで沈默ちんもくつゞけた。かれ内儀かみさんのまへにどうしてものべなければならないことにそのこゝろ惑亂わくらんした。かれはぽうつとしてくらまうとした。とほぶやうでしかちかこゑためかれわれかへつたとき
「それぢやおまへ、まあこのぜにしまつたらどうだね」と内儀かみさんがうながしたのであつた。衷心ちうしんからこまつたやうなかれむかつて内儀かみさんはもう追求つゐきうするちからもたなかつた。
まことにどうもお内儀かみさん」かれ財布さいふおびからいてしたときひどつてしまつたやうにかんじて、財布さいふそとから一寸ちよつとくびかたぶけた。かれまた財布さいふそこぜにつかしてた。燒趾やけあとはひから青銅せいどうのやうにかはつた銅貨どうくわはぽつ/\とけたかはのこしてあざやかな地質ぢしつけてた。かれはそれをちかづけてしばら凝然ぢつ見入みいつた。かれこゝろづいたときにはかおそれたやうに内儀かみさんをふりかへつてじやらりとぜに財布さいふそこおとした。(完)
6.夏目漱石 「草枕」  

 茶色のはげた中折帽の下から、ひげだらけな野武士が名残なご惜気おしげに首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合みあわせた。鉄車てっしゃはごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然ぼうぜんとして、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「あわれ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出ればになりますよ」と余は那美さんの肩をたたきながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟とっさの際に成就じょうじゅしたのである。
7.夏目漱石 「虞美人草」  

 道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。ここにおいて万人の眼はことごとく自己の出立点に向う。始めて生の隣に死が住む事を知る。みだりに踊り狂うとき、人をして生の境を踏みはずして、死の圜内けんないに入らしむる事を知る。人もわれももっともみ嫌える死は、ついに忘るべからざる永劫えいごう陥穽かんせいなる事を知る。陥穽の周囲にちかかる道義の縄はみだりに飛びゆべからざるを知る。縄は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なる事を知る。しかして始めて悲劇の偉大なるを悟る。……」
 二ヵ月甲野さんはこの一節を抄録して倫敦ロンドンの宗近君に送った。宗近君の返事にはこうあった。――
「ここでは喜劇ばかり流行はやる」
8.夏目漱石 「行人」  

 私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこのねむりから永久めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」
9.夏目漱石 「こころ」  

 私は私の過去を善悪ともにひとの参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻がおのれの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一ゆいいつの希望なのですから、私が死んだあとでも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」
10.夏目漱石 「三四郎」  

 野々宮さんは目録へ記号しるしをつけるために、隠袋かくしへ手を入れて鉛筆を捜した。鉛筆がなくって、一枚の活版刷りのはがきが出てきた。見ると、美禰子の結婚披露ひろうの招待状であった。披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生といっしょにフロックコートで出席した。三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期はすでに過ぎていた。
 野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に捨てた。やがて先生とともにほかの絵の評に取りかかる。与次郎だけが三四郎のそばへ来た。
「どうだ森の女は」
「森の女という題が悪い」
「じゃ、なんとすればよいんだ」
 三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊ストレイ・シープ迷羊ストレイ・シープと繰り返した。
11.夏目漱石 「それから」  

 忽ちあかい郵便筒がいた。すると其赤い色が忽ち代助のあたまなかに飛び込んで、くる/\と回転し始めた。傘屋かさやの看板に、赤い 蝙蝠傘かうもりがさを四つかさねてたかるしてあつた。かさ の色が、又代助のあたまに飛び込んで、くる/\とうづいた。四つかど に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急にかどまが るとき、風船玉は追懸おつかけて、代助のあたまに飛びいた。小包こづゝみ郵便をせた赤い車がはつと電車とれ違ふとき、又代助のあたまなかに吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへとつゞいた。仕舞には世の中が真赤まつかになつた。さうして、代助のあたまを中心としてくるり/\とほのほいきを吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。
12.夏目漱石 「彼岸過迄」  

かえりみると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日こんにちまでの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖ステッキを大事そうに突いて、電車から下りる霜降しもふり外套がいとうを着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入るあとけたくらいのものである。それも今になって記憶の台にせてながめると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯じぎであった。彼はそれがために位地いちにありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑稽こっけいの意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目まじめな、行動に過ぎなかった。
 要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席いくせきかの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々ぜんぜん深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入はいれなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味でへびの頭をのろい、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転るてんして行くだろうかを考えた。
13.夏目漱石 「坊っちゃん」  

 きよの事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄かばんを提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったとなみだをぽたぽたと落した。おれもあまりうれしかったから、もう田舎いなかへは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
 その後ある人の周旋しゅうせん街鉄がいてつの技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関げんかん付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎はいえんかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へめて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向こびなたの養源寺にある。
(明治三十九年四月)

14.夏目漱石 「道草」  

「片付いたのは上部うわべだけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」
 細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変る からひとにも自分にも解らなくなるだけの事さ」
 健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おおい子だ好い子だ。御父さまのおっしゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
 細君はこういいいい、幾度いくたびか赤いほお接吻せっぷんした。
15.夏目漱石 「明暗」  

 津田はようやく立ち上った。
「奥さん」と云おうとして、そくなった彼はつい「清子さん」と呼び掛けた。
「あなたはいつごろまでおいでです」
「予定なんかまるでないのよ。うちから電報が来れば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」
 津田は驚ろいた。
「そんなものが来るんですか」
「そりゃ何とも云えないわ」
 清子はこう云って微笑した。津田はその微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分のへやに帰った。
――未完――

16.夏目漱石 「門」  

 小康はかくして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜のひる宗助は久しぶりに、四日目のあかを流すため横町の洗場に行ったら、五十ばかりの頭をった男と、三十代の商人あきんどらしい男が、ようやく春らしくなったと云って、時候の挨拶あいさつを取り換わしていた。若い方が、今朝始めてうぐいすの鳴声を聞いたと話すと、坊さんの方が、わたしは二三日前にも一度聞いた事があると答えていた。
「まだ鳴きはじめだから下手だね」
「ええ、まだ充分にしたが回りません」
 宗助はうちへ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子しょうじ硝子ガラスに映るうららかな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしいまゆを張った。宗助は縁に出て長く延びた爪をりながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたままはさみを動かしていた。
17.夏目漱石 「吾輩は猫である」  

 その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責かしゃくに逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水のおもてにからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらもいても、あせっても、百年の間身をにしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。みずから求めて苦しんで、自ら好んで拷問ごうもんかかっているのは馬鹿気ている。
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙めんこうむるよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然 の力に任せて抵抗しない事にした。
 次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支 さしつかえはない。ただ楽である。いな楽そのものすらも感じ得 ない。日月じつげつを切り落し、天地を粉韲ふんせいして不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
18.新美南吉 「ごん狐」  

 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置でなわをなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
 兵十は立ちあがって、納屋なやにかけてある火縄銃ひなわじゅうをとって、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間どまに栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口つつぐちから細く出ていました。

おすすめサイト・関連サイト…

Last updated : 2024/06/28