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■ 使い方と説明
- 下の枠の番号や作家名、作品名などをクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。
- 主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
- 詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
- このページでは、『作家別・さ行』の作品の「書き出し」、つまり作品の最初の部分を表示します。
- 「書き終わり・結び」は別のページで見ることができます。「書き終わり・結びを見る」をクリックしてください。
- 「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
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1.坂口安吾 「桜の森の満開の下」
桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり 団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて 喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の 蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
2.坂口安吾 「堕落論」
半年のうちに世相は変った。 醜の 御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って 闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の 位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
3.島崎藤村 「破戒」
蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川 丑松が急に 転宿を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其 蔵裏つゞきにある二階の角のところ。寺は信州 下水内郡飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する 古刹で、丁度其二階の窓に 倚凭つて眺めると、 銀杏の大木を 経てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を 眼前に見るやうな小都会、奇異な北国風の 屋造、板葺の屋根、または冬期の 雪除として使用する特別の 軒庇から、ところ/″\に高く 顕れた寺院と樹木の梢まで――すべて旧めかしい町の 光景が香の 烟の中に包まれて見える。たゞ 一際目立つて此窓から望まれるものと言へば、現に丑松が奉職して居る其小学校の白く塗つた 建築物であつた。
4.島崎藤村 「夜明け前」 第一部上
木曾路はすべて山の中である。あるところは 岨づたいに行く 崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の 街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
東ざかいの桜沢から、西の 十曲峠まで、木曾十一 宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い 谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い 山間に 埋もれた。
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Last updated : 2024/06/28