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■ 使い方と説明
- 下の枠の番号や作家名、作品名などをクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。
- 主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
- 詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
- このページでは、『作家別・か行』の作品の「書き出し」、つまり作品の最初の部分を表示します。
- 「書き終わり・結び」は別のページで見ることができます。「書き終わり・結びを見る」をクリックしてください。
- 「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
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1.梶井基次郎 「ある心の風景」
喬は彼の部屋の窓から寝静まった通りに 凝視っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは 暈となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当っていく 黄金虫の音でもあるらしかった。
そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは少なく、魚の 腹綿や鼠の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。 紅殻が古びてい、荒壁の 塀は崩れ、人びとはそのなかで古手拭のように無気力な生活をしているように思われた。喬の部屋はそんな通りの、 卓子で言うなら主人役の位置に窓を開いていた。
2.梶井基次郎 「桜の樹の下には」
桜の樹の下には 屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。 何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
3.梶井基次郎 「檸檬(れもん)」
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終 圧えつけていた。 焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに 宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した 肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を 居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
4.フランツ・カフカ(原田義人訳)「変身」
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
「おれはどうしたのだろう?」と、彼は思った。夢ではなかった。自分の部屋、少し小さすぎるがまともな部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにあった。テーブルの上には布地の見本が包みをといて拡げられていたが――ザムザは旅廻りのセールスマンだった――、そのテーブルの上方の壁には写真がかかっている。それは彼がついさきごろあるグラフ雑誌から切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものだった。写っているのは一人の婦人で、毛皮の帽子と毛皮のえり巻とをつけ、身体をきちんと起こし、 肘まですっぽり隠れてしまう重そうな毛皮のマフを、見る者のほうに向ってかかげていた。
5.鴨長明 「方丈記」
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
6.菊池寛 「恩讐の彼方に」
市九 郎は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。自分の罪を――たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を、意識している市九郎は、主人の振り上げた太刀を、必至な刑罰として、たとえその切先を避くるに努むるまでも、それに反抗する心持は、少しも持ってはいなかった。
7.菊池寛 「父帰る」
人物
黒田賢一郎 二十八歳
その弟 新二郎 二十三歳
その妹 おたね 二十歳
彼らの母 おたか 五十一歳
彼らの父 宗太郎
時
明治四十年頃
所
南海道の海岸にある小都会
情景 中流階級のつつましやかな家、六畳の間、正面に箪笥があって、その上に目覚時計が置いてある。前に長火鉢あり、薬缶から湯気が立っている。卓子台が出してある。賢一郎、役所から帰って和服に着替えたばかりと見え、寛いで新聞を読んでいる。母のおたかが縫物をしている。午後七時に近く戸外は闇し、十月の初め。
賢一郎 おたあさん、おたねはどこへ行ったの。
母 仕立物を届けに行った。
賢一郎 まだ仕立物をしとるの。もう人の家の仕事やこし、せんでもええのに。
母 そうやけど嫁入りの時に、一枚でも余計ええ着物を持って行きたいのだろうわい。
賢一郎 (新聞の裏を返しながら)この間いうとった口はどうなったの。
母 たねが、ちいと相手が気に入らんのだろうわい。向こうはくれくれいうてせがんどったんやけれどものう。
賢一郎 財産があるという人やけに、ええ口やがなあ。
母 けんど、一万や、二万の財産は使い出したら何の役にもたたんけえな。家でもおたあさんが来た時には公債や地所で、二、三万円はあったんやけど、お父さんが道楽して使い出したら、笹につけて振るごとしじゃ。
賢一郎 (不快なる記憶を呼び起したるごとく黙している)……。
8.紀貫之 「土佐日記」
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。
9.国木田独歩 「武蔵野」
「武蔵野の 俤は今わずかに 入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「 小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。
10.幸田露伴 「五重塔」
木理美しき 槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる 岩畳作りの長火鉢に対ひて話し 敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を 何日掃ひしか剃つたる痕の青 と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて 翠の ひ一 トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐる/\と 酷く 丸めて引裂紙をあしらひに 一本簪でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、
11.小林多喜二 「蟹工船」
「おい地獄さ 行ぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、 蝸牛が背のびをしたように延びて、海を 抱え込んでいる 函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした 煙草を 唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い 船腹をすれずれに落ちて行った。彼は 身体一杯酒臭かった。
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Last updated : 2024/06/28