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会津若松城 - 鶴ヶ城
日本・福島県

会津若松城(あいづわかまつじょう) - 鶴ヶ城(つるがじょう)・福島県 - 戊辰戦争で砲弾を受け、翌明治7年(1874年)7月に解体。現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもの。 若松城(わかまつじょう)天守東南面之図(国立公文書館所蔵) 若松城(わかまつじょう)天守西北面之図(国立公文書館所蔵)
  Wikipediaによる解説
 若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町1-1にあった城である。地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い。文献史上では黒川城(くろかわじょう)、会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。
若松城
(福島県)
別名 鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 望楼型7重不明(1593年(文禄2年)築)
層塔型5重5階地下2階(1611年(慶長16年)改)
層塔型5重5階(RC造 1965年(昭和40年)再)
築城主 蘆名直盛
築城年 1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)
主な改修者 蒲生氏郷、加藤明成
主な城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏・会津松平家
廃城年 1874年(明治7年)
遺構 石垣、土塁、堀
指定文化財 国の史跡
再建造物 天守・門・櫓・長屋
位置 北緯37度29分15.78秒/東経139度55分47.23秒
 若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。また、再建された天守は若松城天守閣郷土博物館として利用されている。
[若松城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月14日 (金) 08:18 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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Last updated : 2024/06/29