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■ Wikipediaによる解説 ■
大洲城(おおずじょう)は伊予国喜多郡大洲(四国・愛媛県大洲市大洲)にあった城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要衝といえる場所にあった。宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
大洲城
(愛媛県) |
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別名 | 比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 複合連結式層塔型(1609年・非現存)(2004年・木造復元) |
築城主 | 宇都宮豊房 |
築城年 | 元徳3年(1331年) |
主な改修者 | 藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰 |
主な城主 | 宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏 |
廃城年 | 明治3年(1871年) |
遺構 | 櫓、石垣、堀 |
指定文化財 | 国の重要文化財(台所櫓・南隅櫓・高欄櫓・苧綿櫓)、愛媛県史跡 |
再建造物 | 天守・多聞 |
位置 | 北緯33度30分34.34秒/東経132度32分28.07秒 |
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
[大洲城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2013年10月28日 (月) 05:17 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔大洲城〕日本・愛媛県
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