= なるほど漢字 =
『説文解字』に見る漢字
= 西暦100年、中国ではどのような漢字が作られていたのか =

《このページについて》
 このページは、現存する最古の漢字字書とされる中国の『 説文解字せつもんかいじ 』に記された漢字をテキスト化して収載したものです。 (文字コードの関係から、端末によっては一部の文字が正しく表示されないことがある。当サイトの制作時環境では全ての文字が表示されている)
『説文解字』は、中国後漢の 許慎きょしん の手によって和帝の永元12年〈100年〉に成立し、建光元年〈121年〉に許慎の子の許沖が安帝に奉ったものとされます。略して『 説文せつもん 』とも呼ばれます。
『説文解字』では漢字が部首別に分類され、この字書の特徴の一つです。部首は 540 に分類されています。ちなみに、現在の漢和辞典などの部首は、中国の康熙55年〈1716年〉 に成立した『 康熙字典こうきじてん 』に沿った 214 とするものが多く見られ、大修館『大漢和辞典』や、角川『新字源』などは部首の数を 214 として漢字が分類されています。
 なお、漢字の歴史は、『約四千年前にさかのぼると推測される』(落合淳思著「漢字の成り立ち -『説文解字』から最先端の研究まで  」筑摩選書 2014)とされ、ここに紹介する『説文解字』の成立の西暦100年よりもさらに2000年をさかのぼるということになります。落合淳思著『漢字の成り立ち  』では、『現状の資料では、漢字の出現は紀元前二千年の前後、すなわち、竜山文化の末期から二里頭文化の初期というおおよその時代範囲を推定できる程度なのである』とも記されます。
 《『説文解字』での、小篆での部首一覧》
『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首 『説文解字』での部首
[国立公文書館デジタルアーカイブ]
《凡例など》
  • 部首の配列や編数、及び上記画像は、国立公文書館『説文解字』(文政9年刊本)   を参考にした。
  • 漢字テキストは、中國哲學書電子化計劃『説文解字』   を参考にした。なお、参照先サイトでは解説部分もテキスト化されている。
  • 文字コードの関係から、スマートフォンなど一部の端末で表示されない文字が多数ある。
  • 「白」とする部首名、及び文字について、参照先サイトでは 2 か所に同じ文字を現在のフォントを用いて表記するため、それぞれ小篆での文字を画像で表示した。
           
  • 「白」が二つあるのは、小篆では違った字体であったものが、楷書で書かれた際には同じ形になったということか。(調査中)
  • 「止部」での「疌」の字について、参照先サイトでは 2 か所に同じ文字を現在のフォントを用いて表記するため、それぞれ小篆での文字を画像で表示した。
            
  • このページには、部首名が 540 、それぞれの部首での文字が 9,831 字収載されている。なお、部首名、及び部首内での文字について、画数などでの一定の法則による分類は原典においても見られない。
  • 『説文解字』に見る漢字
    『説文解字』PDF版  
『康熙字典』に見る全漢字   
『康熙字典』に見る古文(古字)  
『康熙字典』(安永9) 索引 ①   
『康熙字典』(明治20) 索引 ②   
『説文解字』に見る漢字
『説文解字』PDF版  

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Last updated : 2024/06/29