『浮世絵・錦絵』 などを見る「目次」 地図で見る『東海道五十三次』 『東海道五十三次』保永堂板 『東海道五十三次』行書版 『東海道五十三次』隷書版 『東海道五十三次』佐野喜版・狂歌東海道 この『東海道五十三対・東海道五十三對』は、初代歌川広重、三代歌川豊国(歌川国貞)、歌川国芳の合本です。 風景は少なく、それぞれの宿場にちなむ物語、伝説、史跡などが主体で、広重は主に美人画と歴史画で19作、豊国は主に美人画で8作、国芳は主に武者絵と美人画で29作を描いています。 製作時期は、天保14年・1843年 ~ 弘化4年・1847年とされます。 ここに掲載した画像は国立国会図書館が所蔵し公開しているものです。 このページでは、画像を明るくするために当サイト独自の色彩補正を行っており、国立国会図書館が公開している原画とは色調が若干違います。 『東海道(とうかいどう)五十三対(ごじゅうさんつい)』 = 初代歌川広重、三代歌川豊国、歌川国芳の合本 = 《 蒲原 》 東海道五十三対 蒲原 蒲原の駅 六本松の古事》: 矢矧の浄瑠璃姫が義経を恋い慕ってここまで来たが 疲れて終に死んだ。 里人憐んて葬り、塚のそばに松を六本植えた。その後、小野お通が十二段の浄瑠璃姫の物語を書き、薩摩という傀儡師に教えて節をつけて語らせた。このため小野お通は浄瑠璃の中祖といわれている。 題にある「六本松(ろっぽんまつ)の故事」とは、義経の恋人・浄瑠璃姫(じょうるりひめ)にまつわるものです。義経は奥州下りの途中、矢矧宿(やはぎしゅく)で浄瑠璃姫と恋に落ちます。旅立っていった義経を浄瑠璃姫は追いますが、蒲原(かんばら)で力尽きて埋葬され、その塚の目印として植えられたものが六本松です。この浄瑠璃姫の悲恋の物語は後に語られ、歌と三味線による芸能「浄瑠璃」の起源となりました。 描かれている女性は背中に三味線を置いてあることから芸人と思われ、洗いざらしの髪のままくつろいでいる様子です。 前へ 一覧 次へ 《詳細ページ目次》 『東海道五十三対』 = 初代歌川広重、三代歌川豊国、歌川国芳の合本 = 日本橋 品川 川崎 神奈川 保土ヶ谷 戸塚 藤沢 平塚 大磯 小田原 箱根 三島 沼津 原 吉原 蒲原 由井 興津 江尻 府中 鞠子・丸子 岡部 藤枝 島田 金谷 日坂 掛川 袋井 見附 浜松 舞坂 荒井 白須賀 二川 吉田 御油 赤坂 藤川 岡崎 池鯉鮒 鳴海 宮 桑名 四日市 石薬師 庄野 庄野 関 坂の下 土山 水口 石部 石部 大津 京・三條 おすすめサイト・関連サイト…