一 憲法
みなさん、あたらしい
憲法ができました。そうして
昭和二十二年五月三日から、
私たち
日本国民は、この
憲法を
守ってゆくことになりました。このあたらしい
憲法をこしらえるために、たくさんの
人々が、たいへん
苦心をなさいました。ところでみなさんは、
憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの
身
にかかわりのないことのようにおもっている
人はないでしょうか。もしそうならば、それは
大きなまちがいです。
国の
仕事は、
一日も
休むことはできません。また、
国を
治めてゆく
仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ
規則がいるのです。この
規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん
大事な
規則が
憲法です。
国をどういうふうに
治め、
国の
仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん
根本になっている
規則が
憲法です。もしみなさんの
家の
柱がなくなったとしたらどうでしょう。
家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま
国を
家にたとえると、ちょうど
柱にあたるものが
憲法です。もし
憲法がなければ、
国の
中
におおぜいの
人がいても、どうして
国を
治めてゆくかということがわかりません。それでどこの
国でも、
憲法をいちばん
大事な
規則として、これをたいせつに
守ってゆくのです。
国でいちばん
大事な
規則は、いいかえれば、いちばん
高い
位にある
規則ですから、これを
国の「
最高法規」というのです。
ところがこの
憲法には、いまおはなししたように、
国の
仕事のやりかたのほかに、もう
一つ
大事なことが
書いてあるのです。それは
国民の
権利のことです。この
権利
のことは、あとでくわしくおはなししますから、ここではただ、なぜそれが、
国の
仕事のやりかたをきめた
規則と
同じように
大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。
みなさんは
日本国民のうちのひとりです。
国民のひとりひとりが、かしこくなり、
強くならなければ、
国民ぜんたいがかしこく、また、
強くなれません。
国の
力のもとは、ひとりひとりの
国民にあります。そこで
国は、この
国民のひとりひとりの
力をはっきりとみとめて、しっかりと
守ってゆくのです。そのために、
国民のひとりひとりに、いろいろ
大事な
権利があることを、
憲法できめているのです。この
国民の
大事な
権利のことを「
基本的人権」というのです。これも
憲法の
中に
書いてあるのです。
そこでもういちど、
憲法とはどういうものであるかということを
申しておきます。
憲法とは、
国でいちばん
大事な
規則、すなわち「
最高法規」というもので、その
中には、だいたい
二つのことが
記されています。その
一つは、
国の
治めかた、
国の
仕事のやりかたをきめた
規則です。もう
一つは、
国民のいちばん
大事な
権利、すなわち「
基本的人権」をきめた
規則です。このほかにまた
憲法は、その
必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの
憲法にも、あとでおはなしするように、これからは
戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
これまであった
憲法は、
明治二十二年にできたもので、これは
明治天皇がおつくりになって、
国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい
憲法は、
日本国民がじぶんでつくったもので、
日本国民ぜんたいの
意見で、
自由につくられたものであります。この
国民ぜんたいの
意見を
知るために、
昭和二十一年四月十日に
総選挙が
行われ、あたらしい
国民の
代表がえらばれて、その
人々がこの
憲法をつくったのです。それで、あたらしい
憲法は、
国民ぜんたいでつくったということになるのです。
みなさんも
日本国民のひとりです。そうすれば、この
憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、
大事になさるでしょう。こんどの
憲法は、みなさんをふくめた
国民ぜんたいのつくったものであり、
国でいちばん
大事な
規則であるとするならば、みなさんは、
国民のひとりとして、しっかりとこの
憲法を
守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの
憲法に、どういうことが
書いてあるかを、はっきりと
知らなければなりません。
みなさんが、
何かゲームのために
規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに
書いてしまっては、わかりにくいでしょう。
国の
規則もそれと
同じで、
一つ
一つ
事柄にしたがって
分けて
書き、それに
番号をつけて、
第何条、
第何条というように
順々に
記します。こんどの
憲法は、
第一条から
第百三条まであります。そうしてそのほかに、
前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「
前文」といいます。
この
前文には、だれがこの
憲法をつくったかということや、どんな
考えでこの
憲法の
規則ができているかということなどが
記されています。この
前文というものは、
二つのはたらきをするのです。その
一つは、みなさんが
憲法をよんで、その
意味を
知ろうとするときに、
手びきになることです。つまりこんどの
憲法は、この
前文に
記されたような
考えからできたものですから、
前文にある
考えと、ちがったふうに
考えてはならないということです。もう
一つのはたらきは、これからさき、この
憲法をかえるときに、この
前文に
記された
考え
方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この
前文の
考えというのはなんでしょう。いちばん
大事な
考えが
三つあります。それは、「
民主主義」と「
国際平和主義」と「
主権在民主義」です。「
主義」という
言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、
少しもむずかしく
考えることはありません。
主義というのは、
正しいと
思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この
三つのことを
知らなければなりません。まず「
民主主義」からおはなししましょう。
二 民主主義とは
こんどの
憲法の
根本となっている
考えの
第一は
民主主義です。ところで
民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたでしょう。これがあたらしい
憲法の
根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを
知っておかなければなりません。しかも
正しく
知っておかなければなりません。
みなさんがおおぜいあつまって、いっしょに
何かするときのことを
考えてごらんなさい。だれの
意見で
物事をきめますか。もしもみんなの
意見が
同じなら、もんだいはありません。もし
意見が
分かれたときは、どうしますか。ひとりの
意見できめますか。
二人の
意見
できめますか。それともおおぜいの
意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの
意見が、
正しくすぐれていて、おおぜいの
意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっと
多いでしょう。そこで、まずみんなが
十分にじぶんの
考えをはなしあったあとで、おおぜいの
意見で
物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの
人は、このおおぜいの
人の
意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおおぜいの
人の
意見で、
物事をきめてゆくことが、
民主主義のやりかたです。
国を
治めてゆくのもこれと
同じです。わずかの
人の
意見で
国を
治めてゆくのは、よくないのです。
国民ぜんたいの
意見で、
国を
治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり
国民ぜんたいが、
国を
治めてゆく――これが
民主主義の
治めかたです。
しかし
国は、みなさんの
学級とはちがいます。
国民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの
意見をきいてまわることもできません。そこで、みんなの
代わりになって、
国の
仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが
国会です。
国民が、
国会の
議員を
選挙するのは、じぶんの
代わりになって、
国を
治めてゆく
者をえらぶのです。だから
国会では、なんでも、
国民の
代わりである
議員のおおぜいの
意見で
物事をきめます。そうしてほかの
議員は、これにしたがいます。これが
国民ぜんたいの
意見で
物事をきめたことになるのです。これが
民主主義です。ですから、
民主主義とは、
国民ぜんたいで、
国を
治めてゆくことです。みんなの
意見で
物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから
民主主義で
国を
治めてゆけば、みなさんは
幸福になり、また
国もさかえてゆくでしょう。
国は
大きいので、このように
国の
仕事を
国会の
議員にまかせてきめてゆきますから、
国会は
国民の
代わりになるものです。この「
代わりになる」ということを「
代表」といいます。まえに
申しましたように、
民主主義は、
国民ぜんたいで
国を
治めてゆくことですが、
国会が
国民ぜんたいを
代表して、
国のことをきめてゆきますから、これを「
代表制民主主義」のやりかたといいます。
しかしいちばん
大事なことは、
国会にまかせておかないで、
国民が、じぶんで
意見をきめることがあります。こんどの
憲法でも、たとえばこの
憲法をかえるときは、
国会だけできめないで、
国民ひとりひとりが、
賛成か
反対かを
投票してきめることになっています。このときは、
国民が
直接に
国のことをきめますから、これを「
直接民主主義」のやりかたといいます。あたらしい
憲法は、
代表制民主主義と
直接民主主義と、
二つのやりかたで
国を
治めてゆくことにしていますが、
代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、
直接民主主義のやりかたは、いちばん
大事なことにかぎられているのです。だからこんどの
憲法は、だいたい
代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。
みなさんは
日本国民のひとりです。しかしまだこどもです。
国のことは、みなさんが
二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。
国会の
議員をえらぶのも、
国のことについて
投票するのも、みなさんが
二十歳になってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、
二十歳以上の
方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、
選挙の
投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな
気がしましたか。いまのうちに、よく
勉強して、
国を
治めることや、
憲法のことなどを、よく
知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、
国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの
考えとはたらきで
国が
治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの
国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが
民主主義というものです。
三 国際平和主義
国の
中で、
国民ぜんたいで、
物事をきめてゆくことを、
民主主義といいましたが、
国民の
意見は、
人によってずいぶんちがっています。しかし、おおぜいのほうの
意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおおぜいのほうも、すくないほうの
意見をよくきいてじぶんの
意見をきめ、みんなが、なかよく
国の
仕事をやってゆくのでなければ、
民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
これは、
一つの
国について
申しましたが、
国と
国との
間のことも
同じことです。じぶんの
国のことばかりを
考え、じぶんの
国のためばかりを
考えて、ほかの
国の
立場を
考えないでは、
世界中の
国が、なかよくしてゆくことはできません。
世界中の
国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、
国際平和主義といいます。だから
民主主義ということは、この
国際平和主義と、たいへんふかい
関係があるのです。こんどの
憲法で
民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの
国にたいしても
国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この
国際平和主義をわすれて、じぶんの
国のことばかり
考えていたので、とうとう
戦争をはじめてしまったのです。そこであたらしい
憲法では、
前文の
中に、これからは、この
国際平和主義でやってゆくということを、
力強いことばで
書いてあります。またこの
考えが、あとでのべる
戦争の
放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。
四 主権在民主義
みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。
勉強のよくできることでしょうか。それとも
力の
強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし
国の
仕事が、ひとりの
考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの
考えできまるなら、そのおおぜいが、みないちばんえらいことになります。もし
国民ぜんたいの
考えできまるならば、
国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの
憲法は、
民主主義の
憲法ですから、
国民ぜんたいの
考えで
国を
治めてゆきます。そうすると、
国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
国を
治めてゆく
力のことを「
主権」といいますが、この
力が
国民ぜんたいにあれば、これを「
主権は
国民にある」といいます。こんどの
憲法は、いま
申しましたように、
民主主義を
根本の
考えとしていますから、
主権は、とうぜん
日本国民にあるわけです。そこで
前文の
中にも、また
憲法の
第一条にも、「
主権が
国民に
存する」とはっきりかいてあるのです。
主権が
国民にあることを、「
主権在民」といいます。あたらしい
憲法は、
主権在民という
考えでできていますから、
主権在民主義の
憲法であるということになるのです。
みなさんは、
日本国民のひとりです。
主権をもっている
日本国民のひとりです。しかし、
主権は
日本国民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと
思って、
勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは
民主主義にあわないことになります。みなさんは、
主権をもっている
日本国民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、
責任を
感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい
国民でなければなりません。
五 天皇陛下
こんどの
戦争で、
天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、
古い
憲法では、
天皇をお
助けして
国の
仕事をした
人々は、
国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、
国民の
考えとはなれて、とうとう
戦争になったからです。そこで、これからさき
国を
治めてゆくについて、
二度とこのようなことのないように、あたらしい
憲法をこしらえるとき、たいへん
苦心をいたしました。ですから、
天皇は、
憲法で
定めたお
仕事だけをされ、
政治には
関係されないことになりました。
憲法は、
天皇陛下を「
象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この
象徴ということを、はっきり
知らなければなりません。
日の
丸の
国旗を
見れば、
日本の
国をおもいだすでしょう。
国旗が
国の
代わりになって、
国をあらわすからです。みなさんの
学校の
記章を
見れば、どこの
学校の
生徒かがわかるでしょう。
記章が
学校の
代わりになって、
学校をあらわすからです。いまここに
何か
眼に
見えるものがあって、ほかの
眼に
見えないものの
代わりになって、それをあらわすときに、これを「
象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの
憲法の
第一条は、
天皇陛下を「
日本国の
象徴」としているのです。つまり
天皇陛下は、
日本の
国をあらわされるお
方ということであります。
また
憲法第一条は、
天皇陛下を「
日本国民統合の
象徴」であるとも
書いてあるのです。「
統合」というのは「
一つにまとまっている」ということです。つまり
天皇陛下は、
一つにまとまった
日本国民の
象徴でいらっしゃいます。これは、
私たち
日本国民ぜんたいの
中心としておいでになるお
方ということなのです。それで
天皇陛下は、
日本国民ぜんたいをあらわされるのです。
このような
地位に
天皇陛下をお
置き
申したのは、
日本国民ぜんたいの
考えにあるのです。これからさき、
国を
治めてゆく
仕事は、みな
国民がじぶんでやってゆかなければなりません。
天皇陛下は、けっして
神様ではありません。
国民と
同じような
人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。
小さな
町のすみにもおいでになりました。ですから
私たちは、
天皇陛下を
私たちのまん
中にしっかりとお
置きして、
国を
治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで
憲法が
天皇陛下を
象徴とした
意味がおわかりでしょう。
六 戦争の放棄
みなさんの
中には、こんどの
戦争に、おとうさんやにいさんを
送りだされた
人も
多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、
家やうちの
人を、なくされた
人も
多いでしょう。いまやっと
戦争はおわりました。
二度とこんなおそろしい、かなしい
思いをしたくないと
思いませんか。こんな
戦争をして、
日本の
国はどんな
利益があったでしょうか。
何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戦争は
人間をほろぼすことです。
世の
中のよいものをこわすことです。だから、こんどの
戦争をしかけた
国には、
大きな
責任があるといわなければなりません。このまえの
世界戦争のあとでも、もう
戦争は
二度とやるまいと、
多くの
国々ではいろいろ
考えましたが、またこんな
大戦争をおこしてしまったのは、まことに
残念なことではありませんか。
そこでこんどの
憲法では、
日本の
国が、けっして
二度と
戦争をしないように、
二つのことをきめました。その
一つは、
兵隊も
軍艦も
飛行機も、およそ
戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき
日本には、
陸軍も
海軍も
空軍もないのです。これを
戦力の
放棄といいます。「
放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして
心ぼそく
思うことはありません。
日本は
正しいことを、ほかの
国よりさきに
行ったのです。
世の
中に、
正しいことぐらい
強いものはありません。
もう
一つは、よその
国と
争いごとがおこったとき、けっして
戦争によって、
相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの
国をほろぼすようなはめになるからです。また、
戦争とまでゆかずとも、
国の
力で、
相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを
戦争の
放棄というのです。そうしてよその
国となかよくして、
世界中の
国が、よい
友だちになってくれるようにすれば、
日本の
国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい
戦争が、
二度とおこらないように、また
戦争を
二度とおこさないようにいたしましょう。
七 基本的人権
くうしゅうでやけたところへ
行ってごらんなさい。やけただれた
土から、もう
草が
青々とはえています。みんな
生き
生きとしげっています。
草でさえも、
力強く
生きてゆくのです。ましてやみなさんは
人間です。
生きてゆく
力があるはずです。
天からさずかったしぜんの
力があるのです。この
力によって、
人間が
世の
中に
生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし
人間は、
草木とちがって、ただ
生きてゆくというだけではなく、
人間らしい
生活をしてゆかなければなりません。この
人間らしい
生活には、
必要なものが
二つあります。それは「
自由」ということと、「
平等」ということです。
人間がこの
世に
生きてゆくからには、じぶんのすきな
所に
住み、じぶんのすきな
所に
行き、じぶんの
思うことをいい、じぶんのすきな
教えにしたがってゆけることなどが
必要です。これらのことが
人間の
自由であって、この
自由は、けっして
奪われてはなりません。また、
国の
力でこの
自由を
取りあげ、やたらに
刑罰を
加えたりしてはなりません。そこで
憲法は、この
自由は、けっして
侵すことのできないものであることをきめているのです。
またわれわれは、
人間である
以上はみな
同じです。
人間の
上に、もっとえらい
人間があるはずはなく、
人間の
下に、もっといやしい
人間があるわけはありません。
男が
女よりもすぐれ、
女が
男よりもおとっているということもありません。みな
同じ
人間であるならば、この
世に
生きてゆくのに、
差別を
受ける
理由はないのです。
差別のないことを「
平等」といいます。そこで
憲法は、
自由といっしょに、この
平等ということをきめているのです。
国の
規則の
上で、
何かはっきりとできることがみとめられていることを、「
権利」といいます。
自由と
平等とがはっきりみとめられ、これを
侵されないとするならば、この
自由と
平等とは、みなさんの
権利です。これを「
自由権」というのです。しかもこれは
人間のいちばん
大事な
権利です。このいちばん
大事な
人間の
権利のことを「
基本的人権」といいます。あたらしい
憲法は、この
基本的人権を、
侵すことのできない
永久に
与えられた
権利として
記しているのです。これを
基本的人権を「
保障する」というのです。
しかし
基本的人権は、ここにいった
自由権だけではありません。まだほかに
二つあります。
自由権だけで、
人間の
国の
中での
生活がすむものではありません。たとえばみなさんは、
勉強をしてよい
国民にならなければなりません。
国はみなさんに
勉強をさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、
教育を
受ける
権利を
憲法で
与えられているのです。この
場合はみなさんのほうから、
国にたいして、
教育をしてもらうことを
請求できるのです。これも
大事な
基本的人権ですが、これを「
請求権」というのです。
争いごとのおこったとき、
国の
裁判所で、
公平にさばいてもらうのも、
裁判を
請求する
権利といって、
基本的人権ですが、これも
請求権であります。
それからまた、
国民が、
国を
治めることにいろいろ
関係できるのも、
大事な
基本的人権ですが、これを「
参政権」といいます。
国会の
議員や
知事や
市町村長などを
選挙したり、じぶんがそういうものになったり、
国や
地方の
大事なことについて
投票したりすることは、みな
参政権です
みなさん、いままで
申しました
基本的人権は
大事なことですから、もういちど
復習いたしましょう。みなさんは、
憲法で
基本的人権というりっぱな
強い
権利を
与えられました。この
権利は、
三つに
分かれます。
第一は
自由権です。
第二は
請求権です。
第三は
参政権です。
こんなりっぱな
権利を
与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを
守って、
失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの
人に
迷惑をかけてはいけません。ほかの
人も、みなさんと
同じ
権利をもっていることを、わすれてはなりません。
国ぜんたいの
幸福になるよう、この
大事な
基本的人権を
守ってゆく
責任があると、
憲法に
書いてあります。
八 国会
民主主義は、
国民が、みんなでみんなのために
国を
治めてゆくことです。しかし、
国民の
数はたいへん
多いのですから、だれかが、
国民ぜんたいに
代わって
国の
仕事をするよりほかはありません。この
国民に
代わるものが「
国会」です。まえにも
申しましたように、
国民は
国を
治めてゆく
力、すなわち
主権をもっているのです。この
主権をもっている
国民に
代わるものが
国会ですから、
国会は
国でいちばん
高い
位にあるもので、これを「
最高機関」といいます。「
機関」というのは、ちょうど
人間に
手足があるように、
国の
仕事をいろいろ
分けてする
役目のあるものという
意味です。
国には、いろいろなはたらきをする
機関があります。あとでのべる
内閣も、
裁判所も、みな
国の
機関です。しかし
国会は、その
中でいちばん
高い
位にあるのです。それは
国民ぜんたいを
代表しているからです。
国の
仕事はたいへん
多いのですが、これを
分けてみると、だいたい
三つに
分かれるのです。その
第一は、
国のいろいろの
規則をこしらえる
仕事で、これを「
立法」というのです。
第二は、
争いごとをさばいたり、
罪があるかないかをきめる
仕事で、これを「
司法」というのです。ふつうに
裁判といっているのはこれです。
第三は、この「
立法」と「
司法」とをのぞいたいろいろの
仕事で、これをひとまとめにして「
行政」といいます。
国会は、この
三つのうち、どれをするかといえば、
立法をうけもっている
機関であります。
司法は、
裁判所がうけもっています。
行政は、
内閣と、その
下にある、たくさんの
役所がうけもっています。
国会は、
立法という
仕事をうけもっていますから、
国の
規則はみな
国会がこしらえるのです。
国会のこしらえる
国の
規則を「
法律」といいます。みなさんは、
法律ということばをよくきくことがあるでしょう。しかし、
国会で
法律をこしらえるのには、いろいろ
手つづきがいりますから、あまりこまごました
規則までこしらえることはできません。そこで
憲法は、ある
場合には、
国会でないほかの
機関、たとえば
内閣が、
国の
規則をこしらえることをゆるしています。これを「
命令」といいます。
しかし、
国の
規則は、なるべく
国会でこしらえるのがよいのです。なぜならば、
国会は、
国民がえらんだ
議員のあつまりで、
国民の
意見がいちばんよくわかっているからです。そこで、あたらしい
憲法は、
国の
規則は、ただ
国会だけがこしらえるということにしました。これを、
国会は「
唯一の
立法機関である」というのです。「
唯一」とは、ただ
一つで、ほかにはないということです。
立法機関とは、
国の
規則をこしらえる
役目のある
機関ということです。そうして、
国会以外のほかの
機関が、
国の
規則をこしらえてもよい
場合は、
憲法で、
一つ
一つきめているのです。また、
国会のこしらえた
国の
規則、すなわち
法律の
中で、これこれのことは
命令できめてもよろしいとゆるすこともあります。
国民のえらんだ
代表者が、
国会で
国民を
治める
規則をこしらえる、これが
民主主義のたてまえであります。
しかし
国会には、
国の
規則をこしらえることのほかに、もう
一つ
大事な
役目があります。それは、
内閣や、その
下にある、
国のいろいろな
役所の
仕事のやりかたを、
監督することです。これらの
役所の
仕事は、まえに
申しました「
行政」というはたらきですから、
国会は、
行政を
監督して、まちがいのないようにする
役目をしているのです。これで、
国民の
代表者が
国の
仕事を
見はっていることになるのです。これも
民主主義の
国の
治めかたであります。
日本の
国会は「
衆議院」と「
参議院」との
二つからできています。その
一つ
一つを「
議院」といいます。このように、
国会が
二つの
議院からできているものを「
二院制度」というのです。
国によっては、
一つの
議院しかないものもあり、これを「
一院制度」というのです。しかし、
多くの
国の
国会は、
二つの
議院からできています。
国の
仕事はこの
二つの
議院がいっしょにきめるのです。
なぜ
二つの
議院がいるのでしょう。みなさんは、
野球や、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」ということをごぞんじですか。
一人の
選手が
球を
取りあつかっているとき、もう
一人の
選手が、うしろにまわって、まちがいのないように
守ることを「バック・アップ」といいます。
国会は、
国の
大事な
仕事をするのですから、
衆議院だけでは、まちがいが
起るといけないから、
参議院が「バック・アップ」するはたらきをするのです。ただし、スポーツのほうでは、
選手がおたがいに「バック・アップ」しますけれども、
国会では、おもなはたらきをするのは
衆議院であって、
参議院は、ただ
衆議院を「バック・アップ」するだけのはたらきをするのです。したがって、
衆議院のほうが、
参議院よりも、
強い
力を
与えられているのです。この
強い
力をもった
衆議院を「
第一院」といい、
参議院を「
第二院」といいます。なぜ
衆議院のほうに
強い
力があるのでしょう。そのわけは
次のとおりです。
衆議院の
選挙は、
四年ごとに
行われます。
衆議院の
議員は、
四年間つとめるわけです。しかし、
衆議院の
考えが
国民の
考えを
正しくあらわしていないと
内閣が
考えたときなどには、
内閣は、
国民の
意見を
知るために、いつでも
天皇陛下に
申しあげて、
衆議院の
選挙のやりなおしをしていただくことができます。これを
衆議院の「
解散」というのです。そうして、この
解散のあとの
選挙で、
国民がどういう
人をじぶんの
代表にえらぶかということによって、
国民のあたらしい
意見が、あたらしい
衆議院にあらわれてくるのです。
参議院のほうは、
議員が
六年間つとめることになっており、
三年ごとに
半分ずつ
選挙をして
交代しますけれども、
衆議院のように
解散ということがありません。そうしてみると、
衆議院のほうが、
参議院よりも、その
時、その
時の
国民の
意見を、よくうつしているといわなければなりません。そこで
衆議院のほうに、
参議院よりも
強い
力が
与えられているのです。どういうふうに
衆議院の
方が
強い
力をもっているかということは、
憲法できめられていますが、ひと
口でいうと、
衆議院と
参議院との
意見がちがったときには、
衆議院のほうの
意見がとおるようになっているということです。
しかし
衆議院も
参議院も、ともに
国民ぜんたいの
代表者ですから、その
議員は、みな
国民が
国民の
中からえらぶのです。
衆議院のほうは、
議員が
四百六十六人、
参議院のほうは
二百五十人あります。この
議員をえらぶために、
国を「
選挙区」というものに
分けて、この
選挙区に
人口にしたがって
議員の
数をわりあてます。したがって
選挙は、この
選挙区ごとに、わりあてられた
数だけの
議員をえらんで
出すことになります。
議員を
選挙するには、
選挙の
日に
投票所へ
行き、
投票用紙を
受け
取り、じぶんのよいと
思う
人の
名前を
書きます。それから、その
紙を
折り、かぎのかかった
投票箱へ
入れるのです。この
投票は、ひじょうに
大事な
権利です。
選挙する
人は、みなじぶんの
考えでだれに
投票するかをきめなければなりません。けっして、
品物や
利益になる
約束で
説き
伏せられてはなりません。この
投票は、
秘密投票といって、だれをえらんだかをいう
義務もなく、ある
人をえらんだ
理由を
問われても
答える
必要はありません。
さて
日本国民は、
二十歳以上の
人は、だれでも
国会議員や
知事市長などを
選挙することができます。これを「
選挙権」というのです。わが
国では、ながいあいだ、
男だけがこの
選挙権をもっていました。また、
財産をもっていて
税金をおさめる
人だけが、
選挙権をもっていたこともありました。いまは、
民主主義のやりかたで
国を
治めてゆくのですから、
二十歳以上の
人は、
男も
女もみんな
選挙権をもっています。このように、
国民がみな
選挙権をもつことを、「
普通選挙」といいます。こんどの
憲法は、この
普通選挙を、
国民の
大事な
基本的人権としてみとめているのです。しかし、いくら
普通選挙といっても、こどもまで
選挙権をもつというわけではありませんが、とにかく
男女人種の
区別もなく、
宗教や
財産の
上の
区別もなく、みんながひとしく
選挙権をもっているのです。
また
日本国民は、だれでも
国会の
議員などになることができます。
男も
女もみな
議員になれるのです。これを「
被選挙権」といいます。しかし、
年齢が、
選挙権のときと
少しちがいます。
衆議院議員になるには、
二十五歳以上、
参議院議員になるには、
三十歳以上でなければなりません。この
被選挙権の
場合も、
選挙権と
同じように、だれが
考えてもいけないと
思われる
者には、
被選挙権がありません。
国会議員になろうとする
人は、じぶんでとどけでて、「
候補者」というものになるのです。また、じぶんがよいと
思うほかの
人を、「
候補者
」としてとどけでることもあります。これを
候補者を「
推薦する」といいます。
この
候補者
をとどけでるのは、
選挙の
日のまえにしめきってしまいます。
投票をする
人は、この
候補者の
中から、じぶんのよいと
思う
人をえらばなければなりません。ほかの
人の
名前を
書いてはいけません。そうして、
投票の
数の
多い
候補者から、
議員になれるのです。それを「
当選する」といいます。
みなさん、
民主主義は、
国民ぜんたいで
国を
治めてゆくことです。そうして
国会は、
国民ぜんたいの
代表者です。それで、
国会議員を
選挙することは、
国民の
大事な
権利で、また
大事なつとめです。
国民はぜひ
選挙にでてゆかなければなりません。
選挙にゆかないのは、この
大事な
権利をすててしまうことであり、また
大事なつとめをおこたることです。
選挙にゆかないことを、ふつう「
棄権」といいます。これは、
権利をすてるという
意味です。
国民は
棄権してはなりません。みなさんも、いまにこの
権利をもつことになりますから、
選挙のことは、とくにくわしく
書いておいたのです。
国会は、このようにして、
国民がえらんだ
議員があつまって、
国のことをきめるところですが、ほかの
役所とちがって、
国会で、
議員が、
国の
仕事をしているありさまを、
国民が
知ることができるのです。
国民はいつでも、
国会へ
行って、これを
見たりきいたりすることができるのです。また、
新聞やラジオにも
国会のことがでます。
つまり、
国会での
仕事は、
国民の
目の
前で
行われるのです。
憲法は、
国会はいつでも、
国民に
知れるようにして、
仕事をしなければならないときめているのです。これはたいへん
大事なことです。もし、まれな
場合ですが
秘密に
会議を
開こうとするときは、むずかしい
手つづきがいります。
これで、どういうふうに
国が
治められてゆくのか、どんなことが
国でおこっているのか、
国民のえらんだ
議員が、どんな
意見を
国会でのべているかというようなことが、みんな
国民にわかるのです。
国の
仕事の
正しい
明かるいやりかたは、ここからうまれてくるのです。
国会がなくなれば、
国の
中がくらくなるのです。
民主主義は
明かるいやりかたです。
国会は、
民主主義にはなくてはならないものです。
日本の
国会は、
年中開かれているものではありません。しかし、
毎年一回はかならず
開くことになっています。これを「
常会」といいます。
常会は
百五十日間
ときまっています。これを
国会の「
会期」といいます。このほかに、
必要のあるときは、
臨時に
国会を
開きます。これを「
臨時会」といいます。また、
衆議院が
解散されたときは、
解散の
日から
四十日以内に、
選挙を
行い、その
選挙の
日から
三十日以内に、あたらしい
国会が
開かれます。これを「
特別会」といいます。
臨時会と
特別会の
会期は、
国会がじぶんできめます。また
国会の
会期は、
必要のあるときは、
延ばすことができます。それも
国会がじぶんできめるのです。
国会を
開くには、
国会議員をよび
集めなければなりません。これを、
国会を「
召集する」といって、
天皇陛下がなさるのです。
召集された
国会は、じぶんで
開いて
仕事をはじめ、
会期がおわれば、じぶんで
国会を
閉じて、
国会は一
時休むことになります。
みなさん、
国会の
議事堂をごぞんじですか。あの
白いうつくしい
建物に、
日の
光りがさしているのをごらんなさい。あれは
日本国民の
力をあらわすところです。
主権をもっている
日本国民が
国を
治めてゆくところです。
九 政党
「
政党」というのは、
国を
治めてゆくことについて、
同じ
意見をもっている
人があつまってこしらえた
団体のことです。みなさんは、
社会党、
民主党、
自由党、
国民協同党、
共産党などという
名前を、きいているでしょう。これらはみな
政党です。
政党は、
国会の
議員だけでこしらえているものではありません。
政党からでている
議員は、
政党をこしらえている
人の
一部だけです。ですから、
一つの
政党があるということは、
国の
中に、それと
同じ
意見をもった
人が、そうとうおおぜいいるということになるのです。
政党には、
国を
治めてゆくについてのきまった
意見があって、これを
国民に
知らせています。
国民の
意見は、
人によってずいぶんちがいますが、
大きく
分けてみると、この
政党の
意見のどれかになるのです。つまり
政党は、
国民ぜんたいが、
国を
治めてゆくについてもっている
意見を、
大きく
色分けにしたものといってもよいのです。
民主主義で
国を
治めてゆくには、
国民ぜんたいが、みんな
意見をはなしあって、きめてゆかなければなりません。
政党がおたがいに
国のことを
議論しあうのはこのためです。
日本には、この
政党というものについて、まちがった
考えがありました。それは、
政党というものは、なんだか、
国の
中で、じぶんの
意見をいいはっているいけないものだというような
見方です。これはたいへんなまちがいです。
民主主義のやりかたは、
国の
仕事について、
国民
が、おおいに
意見をはなしあってきめなければならないのですから、
政党が
争うのは、けっしてけんかではありません。
民主主義でやれば、かならず
政党というものができるのです。また、
政党がいるのです。
政党はいくつあってもよいのです。
政党の
数だけ、
国民の
意見が、
大きく
分かれていると
思えばよいのです。ドイツやイタリアでは
政党をむりに
一つにまとめてしまい、また
日本でも、
政党をやめてしまったことがありました。その
結果はどうなりましたか。
国民の
意見が
自由にきかれなくなって、
個人の
権利がふみにじられ、とうとうおそろしい
戦争をはじめるようになったではありませんか。
国会の
選挙のあるごとに、
政党は、じぶんの
団体から
議員の
候補者を
出し、またじぶんの
意見を
国民に
知らせて、
国会でなるべくたくさんの
議員をえようとします。
衆議院は、
参議院よりも
大きな
力をもっていますから、
衆議院でいちばん
多く
議員を、じぶんの
政党から
出すことが
必要です。それで
衆議院の
選挙は、
政党にとっていちばん
大事なことです。
国民は、この
政党の
意見をよくしらべて、じぶんのよいと
思う
政党の
候補者に
投票すれば、じぶんの
意見が、
政党をとおして
国会にとどくことになります。
どの
政党にもはいっていない
人が、
候補者になっていることもあります。
国民は、このような
候補者に
投票することも、もちろん
自由です。しかし
政党には、きまった
意見があり、それは
国民に
知らせてありますから、
政党の
候補者に
投票をしておけば、その
人が
国会に
出たときに、どういう
意見をのべ、どういうふうにはたらくかということが、はっきりきまっています。もし
政党の
候補者でない
人に
投票したときは、その
人が
国会に
出たとき、どういうようにはたらいてくれるかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、
選挙ごとに、
衆議院に
多くの
議員をとった
政党の
意見で、
国の
仕事をやってゆくことになります。これは、いいかえれば、
国民ぜんたいの
中で、
多いほうの
意見で、
国を
治めてゆくことでもあります。
みなさん、
国民は、
政党のことをよく
知らなければなりません。じぶんのすきな
政党にはいり、またじぶんたちですきな
政党をつくるのは、
国民の
自由で、
憲法は、これを「
基本的人権」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。
十 内閣
「
内閣」は、
国の
行政をうけもっている
機関であります。
行政ということは、まえに
申しましたように、「
立法」すなわち
国の
規則をこしらえることと、「
司法」すなわち
裁判をすることをのぞいたあとの、
国の
仕事をまとめていうのです。
国会は、
国民の
代表になって、
国を
治めてゆく
機関ですが、たくさんの
議員でできているし、また
一年中開いているわけにもゆきませんから、
日常の
仕事やこまごました
仕事は、
別に
役所をこしらえて、ここでとりあつかってゆきます。その
役所のいちばん
上にあるのが
内閣です。
内閣は、
内閣総理大臣と
国務大臣とからできています。「
内閣総理大臣」は
内閣の
長で、
内閣ぜんたいをまとめてゆく、
大事な
役目をするのです。それで、
内閣総理大臣にだれがなるかということは、たいへん
大事なことですが、こんどの
憲法は、
内閣総理大臣は、
国会の
議員の
中から、
国会がきめて、
天皇陛下に
申しあげ、
天皇陛下がこれをお
命じになることになっています。
国会できめるとき、
衆議院と
参議院の
意見が
分かれたときは、けっきょく
衆議院の
意見どおりにきめることになります。
内閣総理大臣を
国会できめるということは、
衆議院でたくさんの
議員をもっている
政党の
意見で、きまることになりますから、
内閣総理大臣は、
政党からでることになります。
また、ほかの
国務大臣は、
内閣総理大臣が、
自分でえらんで
国務大臣にします。しかし、
国務大臣の
数の
半分以上は、
国会の
議員からえらばなければなりません。
国務大臣は
国の
行政をうけもつ
役目がありますが、この
国務大臣の
中から、
大蔵省、
文部省、
厚生省、
商工省などの
国の
役所の
長になって、その
役所の
仕事を
分けてうけもつ
人がきまります。これを「
各省大臣」といいます。つまり
国務大臣の
中には、この
各省大臣になる
人と、ただ
国の
仕事ぜんたいをみてゆく
国務大臣とがあるわけです。
内閣総理大臣が
政党からでる
以上、
国務大臣もじぶんと
同じ
政党の
人からとることが、
国の
仕事をやってゆく
上にべんりでありますから、
国務大臣の
大部分が、
同じ
政党からでることになります。
また、
一つの
政党だけでは、
国会に
自分の
意見をとおすことができないと
思ったときは、
意見のちがうほかの
政党と
組んで
内閣をつくります。このときは、それらの
政党から、みな
国務大臣がでて、いっしょに、
国の
仕事をすることになります。また
政党の
人でなくとも、
国の
仕事に
明かるい
人を、
国務大臣に
入れることもあります。しかし、
民主主義のやりかたでは、けっきょく
政党が
内閣をつくることになり、
政党から
内閣総理大臣と
国務大臣のおおぜいがでることになるので、これを「
政党内閣」というのです。
内閣は、
国の
行政をうけもち、また、
天皇陛下が
国の
仕事をなさるときには、これに
意見を
申しあげ、また、
御同意を
申します。そうしてじぶんのやったことについて、
国民を
代表する
国会にたいして、
責任を
負うのです。これは、
内閣総理大臣も、ほかの
国務大臣も、みないっしょになって、
責任を
負うのです。ひとりひとりべつべつに
責任を
負うのではありません。これを「
連帯して
責任を
負う」といいます。
また
国会のほうでも、
内閣がわるいと
思えば、いつでも「もう
内閣を
信用しない」ときめることができます。ただこれは、
衆議院だけができることで、
参議院はできません。なぜならば、
国民のその
時々の
意見がうつっているのは、
衆議院であり、また、
選挙のやり
直しをして、
内閣が、
国民に、どっちがよいかをきめてもらうことができるのは、
衆議院だけだからです。
衆議院が
内閣にたいして、「もう
内閣を
信用しない」ときめることを、「
不信任決議」といいます。この
不信任決議がきまったときは、
内閣は
天皇陛下に
申しあげ、
十日以内に
衆議院を
解散していただき、
選挙のやり
直しをして、
国民にうったえてきめてもらうか、または
辞職するかどちらかになります。また「
内閣を
信用する」ということ(これを「
信任決議」といいます)が、
衆議院で
反対されて、だめになったときも
同じことです。
このようにこんどの
憲法では、
内閣は
国会とむすびついて、
国会の
直接の
力で
動かされることになっており、
国会の
政党の
勢力の
変化で、かわってゆくのです。つまり
内閣は、
国会の
支配の
下にあることになりますから、これを「
議院内閣制度」とよんでいます。
民主主義と、
政党内閣と、
議院内閣とは、ふかい
関係があるのです。
十一 司法
「
司法」とは、
争いごとをさばいたり、
罪があるかないかをきめることです。「
裁判」というのも
同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの
生命、
自由、
財産などを
守るために、
公平な
裁判をしてもらうことができます。この
司法という
国の
仕事は、
国民にとってはたいへん
大事なことで、
何よりもまず、
公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで
国には、「
裁判所」というものがあって、この
司法という
仕事をうけもっているのです。
裁判所は、その
仕事をやってゆくについて、ただ
憲法と
国会のつくった
法律とにしたがって、
公平に
裁判をしてゆくものであることを、
憲法できめております。ほかからは、いっさい
口出しをすることはできないのです。また、
裁判をする
役目をもっている
人、すなわち「
裁判官」は、みだりに
役目を
取りあげられないことになっているのです。これを「
司法権の
独立」といいます。また、
裁判を
公平にさせるために、
裁判は、だれでも
見たりきいたりすることができるのです。これは、
国会と
同じように、
裁判所の
仕事が
国民の
目の
前で
行われるということです。これも
憲法ではっきりときめてあります。
こんどの
憲法で、ひじょうにかわったことを、
一つ
申しておきます。それは、
裁判所は、
国会でつくった
法律が、
憲法に
合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。もし
法律が、
憲法にきめてあることにちがっていると
考えたときは、その
法律にしたがわないことができるのです。だから
裁判所は、たいへんおもい
役目をすることになりました。
みなさん、
私たち
国民は、
国会を、じぶんの
代わりをするものと
思って、しんらいするとともに、
裁判所を、じぶんたちの
権利や
自由を
守ってくれるみかたと
思って、そんけいしなければなりません。
十二 財政
みなさんの
家に、それぞれくらしの
立てかたがあるように、
国にもくらしの
立てかたがあります。これが
国の「
財政」です。
国を
治めてゆくのに、どれほど
費用がかかるか、その
費用をどうしてととのえるか、ととのえた
費用をどういうふうにつかってゆくかというようなことは、みな
国の
財政です。
国の
費用は、
国民が
出さなければなりませんし、また、
国の
財政がうまくゆくかゆかないかは、たいへん
大事なことですから、
国民は、はっきりこれを
知り、またよく
監督してゆかなければなりません。
そこで
憲法では、
国会が、
国民に
代わって、この
監督の
役目をすることにしています。この
監督の
方法はいろいろありますが、そのおもなものをいいますと、
内閣は、
毎年いくらお
金がはいって、それをどういうふうにつかうかという
見つもりを、
国会に
出して、きめてもらわなければなりません。それを「
予算」といいます。また、つかった
費用は、あとで
計算して、また
国会に
出して、しらべてもらわなければなりません。これを「
決算」といいます。
国民から
税金をとるには、
国会に
出して、きめてもらわなければなりません。
内閣は、
国会と
国民にたいして、
少なくとも
毎年一回、
国の
財政が、どうなっているかを、
知らさなければなりません。このような
方法で、
国の
財政が、
国民と
国会とで
監督されてゆくのです。
また「
会計検査院」という
役所があって、
国の
決算を
検査しています。
十三 地方自治
戦争中は、なんでも「
国のため」といって、
国民のひとりひとりのことが、かるく
考えられていました。しかし、
国は
国民のあつまりで、
国民のひとりひとりがよくならなければ、
国はよくなりません。それと
同じように、
日本の
国は、たくさんの
地方に
分かれていますが、その
地方が、それぞれさかえてゆかなければ、
国はさかえてゆきません。そのためには、
地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを
治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、
地方には、その
地方のいろいろな
事情があり、その
地方に
住んでいる
人が、いちばんよくこれを
知っているからです。じぶんでじぶんのことを
自由にやってゆくことを「
自治」といいます。それで
国の
地方ごとに、
自治でやらせてゆくことを、「
地方自治」というのです。
こんどの
憲法では、この
地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。
地方ごとに
一つの
団体になって、じぶんでじぶんの
仕事をやってゆくのです。
東京都、
北海道、
府県、
市町村など、みなこの
団体です。これを「
地方公共団体」といいます。
もし
国の
仕事のやりかたが、
民主主義なら、
地方公共団体の
仕事のやりかたも、
民主主義でなければなりません。
地方公共団体は、
国のひながたといってもよいでしょう。
国に
国会があるように、
地方公共団体にも、その
地方に
住む
人を
代表する「
議会」がなければなりません。また、
地方公共団体の
仕事をする
知事や、その
他のおもな
役目の
人も、
地方公共団体の
議会の
議員も、みなその
地方に
住む
人が、じぶんで
選挙することになりました。
このように
地方自治が、はっきり
憲法でみとめられましたので、ある
一つの
地方公共団体だけのことをきめた
法律を、
国の
国会でつくるには、その
地方に
住む
人の
意見をきくために、
投票をして、その
投票の
半分以上の
賛成がなければできないことになりました。
みなさん、
国を
愛し
国につくすように、じぶんの
住んでいる
地方を
愛し、じぶんの
地方のためにつくしましょう。
地方のさかえは、
国のさかえと
思ってください。
十四 改正
「
改正」とは、
憲法をかえることです。
憲法は、まえにも
申しましたように、
国の
規則の
中でいちばん
大事なものですから、これをかえる
手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。
そこでこんどの
憲法では、
憲法を
改正するときは、
国会だけできめずに、
国民が、
賛成か
反対かを
投票してきめることにしました。
まず、
国会の
一つの
議院で、ぜんたいの
議員の
三分の
二以上の
賛成で、
憲法をかえることにきめます。これを、
憲法改正の「
発議」というのです。それからこれを
国民に
示して、
賛成か
反対かを
投票してもらいます。そうしてぜんぶの
投票の
半分以上が
賛成したとき、はじめて
憲法の
改正を、
国民が
承知したことになります。これを
国民の「
承認」といいます。
国民の
承認した
改正は、
天皇陛下が
国民の
名で、これを
国に
発表されます。これを
改正の「
公布」といいます。あたらしい
憲法は、
国民がつくったもので、
国民のものですから、これをかえたときも、
国民の
名義で
発表するのです。
十五 最高法規
このおはなしのいちばんはじめに
申しましたように、「
最高法規」とは、
国でいちばん
高い
位にある
規則で、つまり
憲法のことです。この
最高法規としての
憲法には、
国の
仕事のやりかたをきめた
規則と、
国民の
基本的人権をきめた
規則と、
二つあることもおはなししました。この
中で、
国民の
基本的人権は、これまでかるく
考えられていましたので、
憲法第九十七条は、おごそかなことばで、この
基本的人権は、
人間がながいあいだ
力をつくしてえたものであり、これまでいろいろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして
侵すことのできない
永久の
権利であると
記しております。
憲法は、
国の
最高法規ですから、この
憲法できめられてあることにあわないものは、
法律でも、
命令でも、なんでも、いっさい
規則としての
力がありません。これも
憲法がはっきりきめています。
このように
大事な
憲法は、
天皇陛下もこれをお
守りになりますし、
国務大臣も、
国会の
議員も、
裁判官も、みなこれを
守ってゆく
義務があるのです。また、
日本の
国がほかの
国ととりきめた
約束(これを「
条約」といいます)も、
国と
国とが
交際してゆくについてできた
規則(これを「
国際法規」といいます)も、
日本の
国は、まごころから
守ってゆくということを、
憲法できめました。
みなさん、あたらしい
憲法は、
日本国民がつくった、
日本国民の
憲法です。これからさき、この
憲法を
守って、
日本の
国がさかえるようにしてゆこうではありませんか。
おわり