『浮世絵・錦絵』 などを見る「目次」 

絵本江戸土産えほんえどみやげ・くずし字を読む
= 金龍山浅草寺 =

《金龍山浅草寺 観音堂 奥山》
《翻刻》
金龍山 観音堂 奥山  浅草観音奥山の光景 江都第一の賑ひ也 数十末社ありて おのおの甍をならべ 松井源水の独楽は世間に名高く 水茶屋 土弓 その餘の繁華いわんかたなし

《現代表記》
金龍山きんりゅうざん 観音堂かんのんどう 奥山おくやま   浅草観音奥山あさくさかんのんおくやま光景ありさま江都こうと第一だいいちにぎわいなり。数十すうじゅう末社まっしゃありて、おのおのいらかをならべ、松井源水まついげんすい独楽こま世間せけん名高なだかく、水茶屋みずちゃや土弓どきゅう、その繁華はんかいわんかたなし。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
《金龍山浅草寺 弁天山》
《翻刻》
其二 同所 辨天山  仁王門前 右の方にあり 麓に大なる池あり この山上に鐘楼ありて昼夜二六の時を報る 明け六つをもて仁王門をひらき 晩六つをもて是を閉る この鐘をもて當山開閉の規とせり

《現代表記》
其二 同所 弁天山べんてんやま   仁王門におうもんまえ、右のかたにあり。ふもとおおいなる池あり。この山上さんじょう鐘楼しょうろうありて昼夜ちゅうや二六にろくときつぐる。明け六つあけむつをもて仁王門をひらき、晩六つくれむつをもてこれとずる。このかねをもて当山とうざん開閉かいへいのりとせり。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
《金龍山浅草寺 雷神門》
《翻刻》
其三 雷神門  金龍山浅草寺の総門なり 左右に風雷の二神を安置す 因て俗に雷門といふ

《現代表記》
其三 雷神門かみなりもん  金龍山浅草寺きんりゅうざんせんそうじ総門そうもんなり。左右さゆう風雷ふうらい二神にしん安置あんちす。よっぞく雷門かみなりもんという。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
《金龍山浅草寺 雷神門前広小路 並木茶屋》
《翻刻》
其四 雷神門前廣小路 並木茶屋  右 雷神門の通りを並木といひ 西の方 廣き所を広小路といふ 並木は左右 廣小路は片側料理や軒をならべて 賑わひいわんかたなし この所 目川菜めし 田楽をもて名物とす 月毎の十七日より二十三日にいたり 時々の花をひさく 是を花市と云 夏月夜に至りて 麦湯のかけ床机を出し その外さまざまの商いもの 更に錘立すいりゅうの地なきにいたる 誠に東都の一奇観なり

《現代表記》
其四 雷神門前広小路かみなりもんまえひろこうじ 並木茶屋なみきちゃや   みぎ雷神門かみなりもんとおりを並木なみきといい、西のかた、広き所を広小路ひろこうじという。並木は左右、広小路は片側料理屋りょうりやのきを並べて、にぎわいいわんかたなし。このところ目川菜めがわなめし、田楽でんがくをもて名物めいぶつとす。月毎つきごとの十七日より二十三日にいたり、時々ときどきの花をひさぐ。これ花市はないちという。夏月かげつに至りて、麦湯ばくとうのかけ床机しょうぎを出いだし、そのほか様々さまざまあきないもの、さらに、錘立すいりゅうの地なきにいたる。まこと東都とうと一奇観いつきかんなり。

*「ひさぐ」は、「ひさぐ」と書き、売る、商いをするなどの意。
*浅草寺は、第十編での「浅草観世音境内年の市」でも描かれる。第十編「浅草観世音境内年の市」   (第十編の絵は広重二代)
*広重は、名所江戸百景     で「浅草金竜山」を描く。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*この地図の初期設定での中心点は金竜山浅草寺付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。

おすすめサイト・関連サイト…

Last updated : 2024/06/29