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= 両国柳橋 料理屋会席/向両国茶屋 元柳橋 浜町 =

《両国柳橋 料理屋会席》
《翻刻》
両国柳橋 料理屋會席  神田川の末流 既に大川へ出る方に架たるを柳橋といふ この辺料理や多く 殊に両国に近くして常だも賑はふ 況夏月の納涼 また 秋冬にいたり 海川の漁舩多く この所より出る

《現代表記》
両国柳橋りょうごくやなぎばし 料理屋会席りょうりやかいせき   神田川かんだがわ末流ばつりゅうすで大川おおかわいずかたかけたるを柳橋やなぎばしという。このへん料理屋多く、こと両国りょうごくに近くしてつねだもにぎわう。まいて、夏月かげつ納涼のうりょう、また、秋冬あきふゆにいたり、海川うみかわ漁船りょうせん多く、このところよりいずる。

大川おおかわは、隅田川すみだがわのことで、吾妻橋周辺より下流は大川とも呼ばれた。
まいては、「まして」に同じ。「まし」のイ音便。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
《其二 向両国茶屋 元柳橋 浜町》
《翻刻》
其二 向両国茶屋 元柳橋 濱町  両国橋より南の方の小川に架すを元柳橋といふ その川下を間部河岸と唱へて 四季ともに月夜の勝景いと閑静にして 意気揚々たるのながめあり

《現代表記》
其二 向両国茶屋むこうりょうごくちゃや 元柳橋もとやなぎばし 濱町はまちょう  両国橋りょうごくばしより南のかた小川おがわわたすを元柳橋もとやなぎばしという。その川下かわしも間部河岸まなべかしとなえて、四季しきともに月夜げつや勝景しょうけいいと閑静かんせいにして、意気いき揚々ようようたるのながめあり。

*両国は、第十編での「両国の晩景」でも描かれる。第十編「両国の晩景」   (第十編の絵は広重二代)
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*この地図の初期設定での中心点は両国柳橋付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。

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Last updated : 2024/06/29