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= 高輪の光景 =

《高輪の光景》
《翻刻》
高輪の光景  田町より末 品川宿の入口まで すべて是を高輪といふ 海上の絶景芝浦に同し

《現代表記》
高輪の光景たかなわのこうけい   田町たまちよりすえ品川宿しながわじゅく入口いりくちまで、すべてこれ高輪たかなわという。海上かいじょう絶景ぜっけい芝浦しばうらに同じ。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
《高輪の光景 二十六夜待》
《翻刻》
高輪の光景 二十六夜待 毎年七月廿六夜 諸人この所に群集して月の出を待つのあひた 或ひは 樓上の酒宴 歌舞音曲 新し 写し画 辻講釈 その賑ひいふばかりなし

《現代表記》
高輪の光景たかなわのこうけい 二十六夜待にじゅうろくやまち  毎年まいねん七月二十六夜、諸人しょにんこのところ群集ぐんじゅして月の出を待つのあいだ、あるいは 樓上ろうじょう酒宴しゅえん歌舞音曲かぶおんぎょくはなし写し画うつしえ辻講釈つじこうしゃく、そのにぎわいいうばかりなし。


*原文で「新し」となっている部分は、「はなし」と振り仮名が振られていることから「噺」の誤りと思われる。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
《高輪の光景 月の岬》
《翻刻》
高輪の光景 月の岬 この所 北は山 東南は海面にして 万里の波濤眸をさへぎる 実にや中秋の月 この所の眺めを最第一とす 月の岬の名も空しからず

《現代表記》
高輪の光景 たかなわのこうけい 月の岬つきのみさき   このところ、北は山、東南は海面かいめんにして万里ばんり波濤はとうまなじりをさえぎる。にや中秋ちゅうしゅうの月、この所の眺めを最第一さいだいいちとす。月の岬つきのみさきの名もむなしからず。

*月の岬は、現在の東京都港区三田四丁目付近とされる。(高輪地区地域情報紙第4号)
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*この地図の初期設定での中心点が三田四丁目付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。三田付近から東はすぐに海だったことが分かる。
ちょっと知識》左の地図をズームアウトすると、海の上に複数の四角いものが見える。これは、砲台の跡で「第一砲臺」から「第七砲臺」まで確認できる。現在、これは「台場」と言われている。

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Last updated : 2024/06/29