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= 目黒 元不二 下道/同所 新富士 山上眺望/其二 爺々が茶屋 =

《目黒 元不二 下道》
《翻刻》
目黒 元不二 下道  江都に冨士と称するもの往々に造り築きて その数多くなりぬれど わきてこの所は自然の風景他に倍りたる勝地にて その道は三保ケ崎の容を模して 並松のむら立ちもまた物舊たり

《現代表記》
目黒めぐろ 元不二もとふじ 下道したみち   江都こうと冨士ふじしょうするもの往々おうおうつくきづきて、そのかずおおくなりぬれど、わきてこのところ自然しぜん風景ふうけい他にまさりたる勝地しょうちにて、そのみち三保ケ崎みほがさきさまうつして、並松なみまつのむらちもまた物旧ものふりたり。

*広重は、名所江戸百景     でも「目黒元不二」として同じ場所を描く。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*この地図の初期設定での中心点は目黒元富士付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。
《同所 新富士 山上眺望》
《翻刻》
同所 新富士 山上眺望  前図の少し傍に 新富士と称うれども何時築立しものやらん その年月も詳にせず 俚俗に新という名は負すれど 樹木のありさま 芝生の貌宛近きものにはあらず 四時の差別はなきものながら この山上より眺望すれば 秋は殊さら眼下の諸木々 或いは紅 あるいは黃に染なしたる霜葉の機ばり広き錦のごとし

《現代表記》
同所 新富士しんふじ 山上眺望さんじょうちょうぼう   前図ぜんずすこかたわらに、新富士しんふじとなうれども何時いつつきたてしものやらん、その年月としつきつまびらかにせず。俚俗りぞくしんという名はおわすれど、樹木じゅもくのありさま、芝生しばふかたちさながら近きものにはあらず。四時しいじ差別けじめはなきものながら、この山上より眺望ちょうぼうすれば、秋はことさら眼下がんか諸木々もろきぎあるいはくれない、あるいはそめなしたる霜葉そうようはたばりひろにしきのごとし。

*四時(しじ・しいじ)は、四季のこと。
はた ばりは、機織用の伸子しんし 。転じて、はば。幅員のこと。端張りとも。(広辞苑)
*広重は、名所江戸百景     でも「目黒新富士」として同じ場所を描く。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*この地図の初期設定での中心点は目黒新富士付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。
《其二 爺々が茶屋》
《翻刻》
同其二 爺々が茶屋  むかし、寛永の頃かとよ 大樹 この野辺に放鷹ありて ここに立よらせ給うといふ その頃 老人夫婦あり これを歓待し奉る 因て 爺々が茶屋とよぶ されば今 老夫ならぬも爺ゝという名を負したる いとも殊勝の舊跡なり

《現代表記》
同其二 爺々が茶屋じじがちゃや   むかし、寛永かんえいの頃かとよ。大樹たいじゅ、この野辺のべ放鷹ほうようありて、ここにたちよらせ給うという。その頃、老人夫婦ろうじんふうふあり。これを歓待もてなたてまつる。って、爺々が茶屋とよぶ。さればいま老夫ろうふならぬも爺ゝじじという名をおわしたる。いとも殊勝しゅしょう旧跡きゅうせきなり。

*ここでの大樹たいじゅ は将軍のこと。中国故事の大樹将軍から将軍の異称。
放鷹ほうようは、鷹狩たかが りをすること。
寛永かんえいは、1624年から1645年。
*説明は、などの意。
*万治は、1658年から1661年。
漢字かな
*広重は、名所江戸百景     でも「目黒爺々が茶屋」として同じ場所を描く。
*この地図の初期設定での中心点は目黒爺々が茶屋付近。初期設定の左の地図は関東平野迅速測図と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。

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Last updated : 2024/06/29