[ 早口言葉や発声、滑舌など、言葉の練習をしましょう ] 外郎売 = 享保8年・1723年の中村座での三代目松本幸四郎とされる台詞 = |
三代目松本幸四郎
享保8年・1723年の中村座での三代目松本幸四郎とされる台詞(昭和11年・1936年刊『歌舞伎名作集』河竹繁俊著より)
*享保8年は、二代目市川團十郎の享保3年の初演から5年後です。
- このページは、参考にした文献の文字をそのまま起こしたものです。
- 現時点では、参考文献の編者が原典とした文書を入手出来ていません。
- このページを参考としているのは、当サイトでのメーンの原典を、文化8年・1811年刊の『花江都歌舞妓年代記』に掲載された台詞としているためです。
拙者親方と
申すは、お
立合にも
先達て
御存じのお
方もござりましよ、お
江戸を
立つて二十
里上方、
相州小田原いつしき
町をお
過ぎなされて、
青物町をお
登りへお
出でなさるれば、
欄干橋虎屋藤右衛門、
唯今は
剃髪いたして
圓齋竹しげ、
元朝より
大晦日まで
各〻様のお
手に
入れまするは
此の
透頂香と
申す
藥、
昔ちんの
國の
唐人ういらうと
申す
者我が
朝へ
來り、
此の
名方を
調合いたし
持藥に
用ひてござる、
神仙不思議の
妙藥、
時の
帝より
叡聞に
達し
御所望遊ばされしに、ういらう
即ち
参内の
折から
件んの
藥を
深く
秘して
冠の
内に
秘めおき、
用ふる
時は一
粒づつ
冠のすきまより
取出す、よつて
帝より
其の
名を
透頂香と
賜はる、
即ち
文字にも
頂に
透く
香と
書いて
透頂香と
申す、
唯今は
此の
藥殊の
外ひろまり、
透頂香といふ
名は
御意なされず、
世上一
統に、たゞういらう/\とお
呼びなさるる、
慮外ながら
在鎌倉のお
大名様方、
御参勤御發足の
折からお
籠をとめられ、
此の
藥何十
貫文とお
買ひなされ
下されまする、
若しお
立の
内にも
熱海か
塔の
澤へ
湯治にお
出でなさるゝか、
又は
伊勢へ
御参宮の
時分は、
必ず
門違ひをなされますな、お
下りなされば
左り、お
上りなされば
右の
方、
町人でござれども
屋づくりは八
方が八つ
棟、おもてが
三つ
棟玉堂づくり、
破風には
菊に
桐のたうの
御紋を
御赦免あつて、
系圖正しき
藥でござる、
近年は
此の
藥、やれ
賣れるはやるとあつて、
方々に
看板を
出し、
小田原の
炭俵のほんだはらのさんだはらのと
名付け、ほうろくにて
甘茶をねり、それに
鍋すみを
加へ、
或ひはういなんういせつういきやうなどと
似たるを
申せども、
平假名を
以てういらうと
致したは
親方圓齋ばかり、
見世は
晝夜の
商ひ、
暮れて四つまで四
方に
銅行燈を
立て、
若い
者共入替り
立替り
御手に
入れます、
尤も
値段は一
粒一せん百
粒百
銭、たとひ
何百
貫お
買ひなされても、いつかな/\
負けも
添へも
致しませぬ、さりながら
振舞ひまするは百
粒二百
粒でも
厭ひは
致さぬ、
最前から
藥の
効驗ばかり
申しても、
御存じのない
方には、
胡椒の
丸呑、
白川夜船、さらば
半粒づつ
振舞ひませう、
御遠慮なしにお
手を
出して、
摘んで
御覧じませい、
第一が
男一
統の
早氣付、
舟の
酔、
酒の
二日酔をさます、
魚鳥木のこ
麺類のくひ
合はせ、
其の
外痰を
切りて
聲を
大音に
出す、
六ちん
八進十六ぺん、
製法細末をあやまたず、かんれいうんの三つを
考へ、うんぱうの
補藥御口中に
入つて
朝日に
霜の
消ゆる
如く、しみ/\となつて
能き
匂ひを
保つ、
鼻紙の
間に
御入れなされては五
両十
両でお
買ひなされた
匂ひ
袋や
掛香の
替りが
仕る、
先づ一
粒上つて
御覧じませい、
口の
内の
涼しさが
格別な
物、
薫風のんどより
來り
口中微涼を
生ず、さるによつて
舌のまはる
事は
錢獨樂がはだしで
逃げる、どのやうなむつかしい
事でもさつぱりと
言うてのけるは
此の
藥の
奇妙、
證據のない
商ひはならぬ、さらば一
粒喰べかけて
其の
氣味合をお
目にかけう、ひよつと
舌が
廻り
出すと
矢も
楯もたまらぬ、サアあわやのど、さたらな
舌にかきはとて、はなの二つは
唇の
輕重かいこう
爽やかに、うくすつぬほもよろを、あかさたなはまやらわ、いつぺきぺきにへぎほしはじかみ
盆まめぼん
米ぼん
牛蒡、
摘蓼つみ
豆つみ
山椒、
書寫山のじやそう
中、こゞめの
生がみ/\こんこ
米のこなまがみ、
繻子々々
緋繻子繻子繻珍、
親も
嘉兵衛子も
嘉兵衛、
親嘉兵衛子嘉兵衛親嘉兵衛、
古栗の
木のふる
切口、
雨合羽かばん
合羽、
貴様の
脚絆も
革脚絆、
我等が
脚絆も
革脚絆、しつかり
袴のしつぽころびを、
三針はりなかにちよと
縫うて、
縫うてちよとぶん
出せ、
河原撫子野石竹、のら
如來のら
如來、みのら
如來にむのら
如來、一
寸のお
小佛におけつまづきやるな
細溝にとちよによろり、
京のなま
鱈奈良なままな
鰹、ちよと四五
貫目、お
茶たちよ
茶たちよ、ちやつと
立ちよ、
茶たちよ、
青竹茶煎でお
茶ちやと
立ちや、くるわ/\
何が
來る、
高野の
山のおこけら
小僧狸百
疋箸百ぜん、
天目百ぱい
棒八百ぽん、
武具馬具々々
三ぶぐばぐ、
合せて
武具馬具六ぶぐばぐ、あの
長押の
長なぎなたは
誰がなぎなたぞ、
向うのごまがらいぬごまがらか
眞ごまがらか、あれこそほんの
眞ごまがら、がら/\ぴい/\
風ぐるま、おきやがりこぼし/\ゆんべもこぼして
又こぼした、たぷぽゝ、たゝぷぽゝ、ちりから/\つたつぽ、たぽ/\ひだこ
落ちたら
煮て
喰はう、
煮ても
焼いても
喰はれぬものが、
五徳鐵きうかな
熊童子に
石熊いし
持、とら
熊とら
鰒、
中にも
東寺の
羅生門には
茨木童子が、うで
栗五
合、つかんでおむしやるかの
頼光の
膝元さらずに、
鮒きんかん
椎茸定めて
後段はそば
切りうどんかぐどんな
小新發意、
小棚のこしたに
小桶にこみそがこあらず、こほどに
小杓子こもつてこすくてこよこせ、おつと
合點だ、
心得たんぼの
川崎神奈川、
程ケ
谷はしつてどつかへ
行けば、やいとをすりむく三
里ばかりか
藤澤平塚、
大磯がしや
小磯の
宿を、七つ
起きして
早天さう/\、
相州小田原透頂香、かくれござらぬ
御ういらう
若男女貴賎群集の
花のお
江戸の
花うい
郎、あの
花を
見て
心をおやはらきやつと
言ふ、
産子這子に
至るまで、
此のういらうの
御評判、
御存じないとは
言はれまい、まひ/\つぶり
角出せ
棒出せぼう/\
眉に、
臼杵摺鉢/\/\、どろ/\/\ぐわら/\/\と
羽目をはづして
今日お
出の
方々さまへ、
賣らねばならぬ
上げねばならぬと、いきせい
引ぱり
藥の
本じめ、
藥師如來も
照覽あれと、ほゝう
敬つてうい
郎はい
入らしやりませぬか。
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- このページの原典は、昭和11年・1936年刊『歌舞伎名作集』河竹繁俊著によります。
- 享保8年・1723年の中村座で、三代目松本幸四郎が演じたとされる台詞です。
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Last updated : 2024/06/28