一握の砂
= 心に響く日本語・心に残る日本語 =
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東海の
小島の
磯の
白砂に
われ
泣きぬれて
蟹とたはむる
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を
示しし人を忘れず
大海にむかひて
一人
七八日
泣きなむとすと家を
出でにき
いたく
錆びしピストル
出でぬ
砂山の
砂を指もて
掘りてありしに
ひと
夜さに
嵐来りて
築きたる
この砂山は
何の
墓ぞも
砂山の砂に
腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ
出づる日
砂山の
裾によこたはる
流木に
あたり見まはし
物言ひてみる
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
しっとりと
なみだを
吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り
来れり
目さまして
猶起き
出でぬ児の
癖は
かなしき癖ぞ
母よ
咎むな
ひと
塊の土に
涎し
泣く母の
肖顔つくりぬ
かなしくもあるか
燈影なき
室に我あり
父と母
壁のなかより
杖つきて
出づ
たはむれに母を
背負ひて
そのあまり
軽きに泣きて
三歩あゆまず
飄然と家を
出でては
飄然と帰りし癖よ
友はわらへど
ふるさとの父の
咳する
度に
斯く
咳の
出づるや
病めばはかなし
わが泣くを
少女等きかば
病犬の
月に
吠ゆるに似たりといふらむ
何処やらむかすかに虫のなくごとき
こころ
細さを
今日もおぼゆる
いと暗き
穴に心を
吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る
こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを
仕遂げて死なむと思ふ
こみ
合へる電車の
隅に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ
浅草の
夜のにぎはひに
まぎれ
入り
まぎれ
出で
来しさびしき心
愛犬の耳
斬りてみぬ
あはれこれも
物に
倦みたる心にかあらむ
鏡とり
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き
飽きし時
なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて
洗へば心
戯けたくなれり
呆れたる母の言葉に
気がつけば
茶碗を
箸もて
敲きてありき
草に
臥て
おもふことなし
わが
額に
糞して鳥は空に遊べり
わが
髭の
下向く
癖がいきどほろし
このごろ
憎き男に似たれば
森の奥より
銃声聞ゆ
あはれあはれ
自ら死ぬる音のよろしさ
大木の
幹に耳あて
小半日
堅き皮をばむしりてありき
「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答
まれにある
この
平なる心には
時計の鳴るもおもしろく
聴く
ふと深き怖れを覚え
ぢっとして
やがて静かに
臍をまさぐる
高山のいただきに登り
なにがなしに
帽子をふりて
下り来しかな
何処やらに
沢山の人があらそひて
鬮引くごとし
われも引きたし
怒る時
かならずひとつ
鉢を
割り
九百九十九割りて死なまし
いつも
逢ふ電車の中の
小男の
稜ある
眼
このごろ気になる
鏡屋の前に来て
ふと驚きぬ
見すぼらしげに
歩むものかも
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を
下りしに
ゆくところなし
空家に
入り
煙草のみたることありき
あはれただ一人
居たきばかりに
何がなしに
さびしくなれば
出てあるく男となりて
三月にもなれり
やはらかに積れる雪に
熱てる
頬を
埋むるごとき
恋してみたし
かなしきは
飽くなき
利己の一念を
持てあましたる男にありけり
手も足も
室いっぱいに投げ
出して
やがて静かに起きかへるかな
百年の長き眠りの
覚めしごと
呻してまし
思ふことなしに
腕拱みて
このごろ思ふ
大いなる
敵目の前に
躍り
出でよと
手が白く
且つ
大なりき
非凡なる人といはるる男に会ひしに
こころよく
人を
讃めてみたくなりにけり
利己の心に
倦めるさびしさ
雨降れば
わが
家の人
誰も誰も沈める顔す
雨
霽れよかし
高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか
この日頃
ひそかに胸にやどりたる
悔あり
われを笑はしめざり
へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき
知らぬ
家たたき起して
遁げ
来るがおもしろかりし
昔の恋しさ
非凡なる人のごとくにふるまへる
後のさびしさは
何にかたぐへむ
大いなる彼の
身体が
憎かりき
その前にゆきて物を言ふ時
実務には役に立たざるうた
人と
我を見る人に
金借りにけり
遠くより笛の
音きこゆ
うなだれてある
故やらむ
なみだ流るる
それもよしこれもよしとてある人の
その気がるさを
欲しくなりたり
死ぬことを
持薬をのむがごとくにも我はおもへり
心いためば
路傍に犬ながながと
呻しぬ
われも
真似しぬ
うらやましさに
真剣になりて竹もて犬を
撃つ
小児の顔を
よしと思へり
ダイナモの
重き
唸りのここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし
剽軽の
性なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり
気の変る人に
仕へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな
龍のごとくむなしき空に
躍り
出でて
消えゆく煙
見れば
飽かなく
こころよき疲れなるかな
息もつかず
仕事をしたる
後のこの疲れ
空寝入生呻など
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため
箸止めてふっと思ひぬ
やうやくに
世のならはしに慣れにけるかな
朝はやく
婚期を過ぎし妹の
恋文めける
文を読めりけり
しっとりと
水を
吸ひたる
海綿の
重さに似たる
心地おぼゆる
死ね死ねと
己を
怒り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ
けものめく顔あり口をあけたてす
とのみ見てゐぬ
人の語るを
親と子と
はなればなれの心もて静かに
対ふ
気まづきや
何ぞ
かの船の
かの航海の
船客の一人にてありき
死にかねたるは
目の前の
菓子皿などを
かりかりと
噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな
よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ
何がなしに
息きれるまで
駆け
出してみたくなりたり
草原などを
あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく
今年も思ひ過ぎたる
ことさらに
燈火を消して
まぢまぢと思ひてゐしは
わけもなきこと
浅草の
凌雲閣のいただきに
腕組みし日の
長き
日記かな
尋常のおどけならむや
ナイフ持ち死ぬまねをする
その顔その顔
こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る
時ありて
子供のやうにたはむれす
恋ある人のなさぬ
業かな
とかくして家を
出づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ
つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし
路傍の
切石の上に
腕
拱みて
空を見上ぐる男ありたり
何やらむ
穏かならぬ
目付して
鶴嘴を打つ群を見てゐる
心より
今日は逃げ去れり
病ある
獣のごとき
不平逃げ去れり
おほどかの心来れり
あるくにも
腹に力のたまるがごとし
ただひとり泣かまほしさに
来て寝たる
宿屋の
夜具のこころよさかな
友よさは
乞食の
卑しさ
厭ふなかれ
餓ゑたる時は我も
爾りき
新しきインクのにほひ
栓抜けば
餓ゑたる腹に
沁むがかなしも
かなしきは
喉のかわきをこらへつつ
夜寒の夜具にちぢこまる時
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
我に似し友の
二人よ
一人は死に
一人は
牢を
出でて今
病む
あまりある才を
抱きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ
打明けて語りて
何か
損をせしごとく思ひて
友とわかれぬ
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
人並の
才に過ぎざる
わが友の
深き不平もあはれなるかな
誰が見てもとりどころなき男来て
威張りて帰りぬ
かなしくもあるか
はたらけど
はたらけど
猶わが
生活楽にならざり
ぢっと手を見る
何もかも
行末の事みゆるごとき
このかなしみは
拭ひあへずも
とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日われ
切に
金を
欲りせり
水晶の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何の心ぞ
事もなく
且つこころよく
肥えてゆく
わがこのごろの物足らぬかな
大いなる水晶の玉を
ひとつ
欲し
それにむかひて物を思はむ
うぬ
惚るる友に
合槌うちてゐぬ
施与をするごとき心に
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に
入り
来し
味噌を
煮る
香よ
こつこつと
空地に石をきざむ音
耳につき
来ぬ
家に
入るまで
何がなしに
頭のなかに
崖ありて
日毎に土のくづるるごとし
遠方に電話の
鈴の鳴るごとく
今日も耳鳴る
かなしき日かな
垢じみし
袷の
襟よ
かなしくも
ふるさとの
胡桃焼くるにほひす
死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を
避けて
怖き顔する
一隊の兵を見送りて
かなしかり
何ぞ彼等のうれひ
無げなる
邦人の顔たへがたく
卑しげに
目にうつる日なり
家にこもらむ
この次の
休日に一日寝てみむと
思ひすごしぬ
三年このかた
或る時のわれのこころを
焼きたての
麺麭に似たりと思ひけるかな
たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
痛むあたまにひびくかなしさ
ある日のこと
室の
障子をはりかへぬ
その日はそれにて心なごみき
かうしては
居られずと思ひ
立ちにしが
戸外に馬の
嘶きしまで
気ぬけして
廊下に立ちぬ
あららかに
扉を
推せしに
すぐ
開きしかば
ぢっとして
黒はた赤のインク吸ひ
堅くかわける
海綿を見る
誰が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき
夕
うすみどり
飲めば
身体が水のごと
透きとほるてふ
薬はなきか
いつも
睨むラムプに
飽きて
三日ばかり
蝋燭の火にしたしめるかな
人間のつかはぬ言葉
ひょっとして
われのみ知れるごとく思ふ日
あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など
今日もさまよひて
来ぬ
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ
来て
妻としたしむ
何すれば
此処に我ありや
時にかく
打驚きて
室を眺むる
人ありて電車のなかに
唾を
吐く
それにも
心いたまむとしき
夜明けまであそびてくらす場所が
欲し
家をおもへば
こころ
冷たし
人みなが
家を持つてふかなしみよ
墓に
入るごとく
かへりて眠る
何かひとつ不思議を示し
人みなのおどろくひまに
消えむと思ふ
人といふ人のこころに
一人づつ
囚人がゐて
うめくかなしさ
叱られて
わっと泣き
出す子供心
その心にもなりてみたきかな
盗むてふことさへ
悪しと思ひえぬ
心はかなし
かくれ
家もなし
放たれし女のごときかなしみを
よわき男の
感ずる日なり
庭石に
はたと時計をなげうてる
昔のわれの
怒りいとしも
顔あかめ
怒りしことが
あくる日は
さほどにもなきをさびしがるかな
いらだてる心よ
汝はかなしかり
いざいざ
すこし
呻などせむ
女あり
わがいひつけに
背かじと心を
砕く
見ればかなしも
ふがひなき
わが
日の
本の
女等を
秋雨の
夜にののしりしかな
男とうまれ男と
交り
負けてをり
かるがゆゑにや秋が身に
沁む
わが
抱く思想はすべて
金なきに
因するごとし
秋の風吹く
くだらない小説を書きてよろこべる
男
憐れなり
初秋の風
秋の風
今日よりは
彼のふやけたる男に
口を
利かじと思ふ
はても見えぬ
真直の街をあゆむごとき
こころを今日は持ちえたるかな
何事も思ふことなく
いそがしく
暮らせし
一日を忘れじと思ふ
何事も
金金とわらひ
すこし
経て
またも
俄かに不平つのり
来
誰そ
我に
ピストルにても
撃てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ
やとばかり
桂首相に手とられし夢みて
覚めぬ
秋の夜の二時
煙
一
病のごと
思郷のこころ
湧く日なり
目にあをぞらの
煙かなしも
己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる
術なし
青空に消えゆく煙
さびしくも消えゆく煙
われにし似るか
かの旅の汽車の
車掌が
ゆくりなくも
我が中学の友なりしかな
ほとばしる
喞筒の水の
心地よさよ
しばしは若きこころもて見る
師も友も知らで
責めにき
謎に似る
わが学業のおこたりの
因
教室の窓より
遁げて
ただ一人
かの
城址に寝に行きしかな
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
かなしみといはばいふべき
物の
味
我の
嘗めしはあまりに早かり
晴れし空
仰げばいつも
口笛を吹きたくなりて
吹きてあそびき
夜寝ても口笛吹きぬ
口笛は
十五の我の歌にしありけり
よく
叱る師ありき
髯の似たるより
山羊と名づけて
口真似もしき
われと
共に
小鳥に石を投げて遊ぶ
後備大尉の子もありしかな
城址の
石に
腰掛け
禁制の
木の
実をひとり
味ひしこと
その
後に我を捨てし友も
あの頃は共に
書読み
ともに遊びき
学校の
図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず
花散れば
先づ人さきに白の
服着て
家出づる
我にてありしか
今は亡き姉の恋人のおとうとと
なかよくせしを
かなしと思ふ
夏休み
果ててそのまま
かへり
来ぬ
若き英語の教師もありき
ストライキ思ひ
出でても
今は
早や吾が血
躍らず
ひそかに
淋し
盛岡の中学校の
露台の
欄干に
最一度我を
倚らしめ
神有りと言ひ張る友を
説きふせし
かの
路傍の
栗の
樹の
下
西風に
内丸大路の桜の葉
かさこそ散るを
踏みてあそびき
そのかみの愛読の
書よ
大方は
今は
流行らずなりにけるかな
石ひとつ
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に到り着きたる
愁ひある
少年の眼に
羨みき
小鳥の飛ぶを
飛びてうたふを
解剖せし
蚯蚓のいのちもかなしかり
かの校庭の
木柵の
下
かぎりなき知識の
慾に燃ゆる眼を
姉は
傷みき
人恋ふるかと
蘇峯の
書を我に
薦めし友早く
校を
退きぬ
まづしさのため
おどけたる手つきをかしと
我のみはいつも笑ひき
博学の師を
自が
才に身をあやまちし人のこと
かたりきかせし
師もありしかな
そのかみの学校一のなまけ者
今は
真面目に
はたらきて
居り
田舎めく旅の姿を
三日ばかり都に
曝し
かへる友かな
茨島の松の並木の街道を
われと行きし
少女
才をたのみき
眼を病みて黒き
眼鏡をかけし頃
その頃よ
一人泣くをおぼえし
わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな
己が道をあゆめり
先んじて恋のあまさと
かなしさを知りし我なり
先んじて
老ゆ
興来れば
友なみだ
垂れ手を
揮りて
酔漢のごとくなりて語りき
人ごみの中をわけ
来る
わが友の
むかしながらの
太き
杖かな
見よげなる年賀の
文を書く人と
おもひ過ぎにき
三年ばかりは
夢さめてふっと悲しむ
わが眠り
昔のごとく安からぬかな
そのむかし
秀才の名の高かりし
友
牢にあり
秋のかぜ吹く
近眼にて
おどけし歌をよみ
出でし
茂雄の恋もかなしかりしか
わが妻のむかしの願ひ
音楽のことにかかりき
今はうたはず
友はみな
或日四方に散り
行きぬ
その
後八年
名挙げしもなし
わが恋を
はじめて友にうち明けし
夜のことなど
思ひ
出づる日
糸切れし
紙鳶のごとくに
若き日の心かろくも
とびさりしかな
二
ふるさとの
訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを
聴きにゆく
やまひある
獣のごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし
ふと思ふ
ふるさとにゐて
日毎聴きし
雀の鳴くを
三年聴かざり
亡くなれる師がその昔
たまひたる
地理の本など取りいでて見る
その昔
小学校の
柾屋根に我が投げし
鞠
いかにかなりけむ
ふるさとの
かの
路傍のすて石よ
今年も草に
埋もれしらむ
わかれをれば
妹いとしも
赤き
緒の
下駄など
欲しとわめく子なりし
二日前に山の
絵見しが
今朝になりて
にはかに恋しふるさとの山
飴売のチャルメラ
聴けば
うしなひし
をさなき心ひろへるごとし
このごろは
母も
時時ふるさとのことを言ひ
出づ
秋に
入れるなり
それとなく
郷里のことなど語り
出でて
秋の
夜に焼く
餅のにほひかな
かにかくに
渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川
田も
畑も売りて酒のみ
ほろびゆくふるさと
人に
心寄する日
あはれかの我の教へし
子等もまた
やがてふるさとを
棄てて
出づるらむ
ふるさとを
出で
来し子等の
相会ひて
よろこぶにまさるかなしみはなし
石をもて追はるるごとく
ふるさとを
出でしかなしみ
消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる
北上の
岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
ふるさとの
村医の妻のつつましき
櫛巻なども
なつかしきかな
かの村の
登記所に来て
肺病みて
間もなく死にし男もありき
小学の首席を我と
争ひし
友のいとなむ
木賃宿かな
千代治等も
長じて恋し
子を
挙げぬ
わが旅にしてなせしごとくに
ある年の
盆の祭に
衣貸さむ踊れと言ひし
女を思ふ
うすのろの兄と
不具の父もてる
三太はかなし
夜も
書読む
我と共に
栗毛の
仔馬走らせし
母の無き子の
盗癖かな
大形の
被布の模様の赤き花
今も目に見ゆ
六歳の日の恋
その名さへ忘られし頃
飄然とふるさとに来て
咳せし男
意地悪の
大工の子などもかなしかり
戦に
出でしが
生きてかへらず
肺を病む
極道地主の
総領の
よめとりの日の春の
雷かな
宗次郎に
おかねが泣きて
口説き
居り
大根の花白きゆふぐれ
小心の役場の書記の
気の
狂れし
噂に立てる
ふるさとの秋
わが
従兄
野山の
猟に
飽きし
後
酒のみ
家売り
病みて死にしかな
我ゆきて手をとれば
泣きてしづまりき
酔ひて
荒れしそのかみの友
酒のめば
刀をぬきて妻を
逐ふ
教師もありき
村を
遂はれき
年ごとに
肺病やみの
殖えてゆく
村に迎へし
若き医者かな
ほたる
狩
川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき
馬鈴薯のうす紫の花に
降る
雨を思へり
都の雨に
あはれ我がノスタルジヤは
金のごと
心に照れり清くしみらに
友として遊ぶものなき
性悪の巡査の
子等も
あはれなりけり
閑古鳥
鳴く日となれば
起るてふ
友のやまひのいかになりけむ
わが思ふこと
おほかたは
正しかり
ふるさとのたより
着ける
朝は
今日聞けば
かの
幸うすきやもめ
人
きたなき恋に身を
入るるてふ
わがために
なやめる
魂をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな
あはれかの男のごときたましひよ
今は
何処に
何を思ふや
わが庭の白き
躑躅を
薄月の
夜に
折りゆきしことな忘れそ
わが村に
初めてイエス・クリストの道を
説きたる
若き女かな
霧ふかき
好摩の
原の
停車場の
朝の虫こそすずろなりけれ
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え
来れば
襟を
正すも
ふるさとの土をわが踏めば
何がなしに足
軽くなり
心
重れり
ふるさとに
入りて
先づ心
傷むかな
道広くなり
橋もあたらし
見もしらぬ
女教師が
そのかみの
わが
学舎の窓に立てるかな
かの
家のかの窓にこそ
春の
夜を
秀子とともに
蛙聴きけれ
そのかみの
神童の名の
かなしさよ
ふるさとに来て泣くはそのこと
ふるさとの
停車場路の
川ばたの
胡桃の下に小石
拾へり
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
秋風のこころよさに
ふるさとの空
遠みかも
高き
屋にひとりのぼりて
愁ひて
下る
皎として玉をあざむく
小人も
秋来といふに
物を思へり
かなしきは
秋風ぞかし
稀にのみ
湧きし涙の
繁に流るる
青に
透く
かなしみの玉に
枕して
松のひびきを夜もすがら
聴く
神
寂びし
七山の杉
火のごとく染めて日
入りぬ
静かなるかな
そを読めば
愁ひ知るといふ
書焚ける
いにしへ
人の心よろしも
ものなべてうらはかなげに
暮れゆきぬ
とりあつめたる悲しみの日は
水潦
暮れゆく空とくれなゐの
紐を浮べぬ
秋雨の
後
秋立つは水にかも似る
洗はれて
思ひことごと新しくなる
愁ひ来て
丘にのぼれば
名も知らぬ鳥
啄めり赤き
茨の
実
秋の
辻
四すぢの
路の三すぢへと吹きゆく風の
あと見えずかも
秋の声まづいち早く耳に
入る
かかる
性持つ
かなしむべかり
目になれし山にはあれど
秋
来れば
神や住まむとかしこみて見る
わが
為さむこと世に
尽きて
長き日を
かくしもあはれ物を思ふか
さらさらと雨落ち
来り
庭の
面の
濡れゆくを見て
涙わすれぬ
ふるさとの寺の
御廊に
踏みにける
小櫛の
蝶を夢にみしかな
こころみに
いとけなき日の我となり
物言ひてみむ人あれと思ふ
はたはたと
黍の葉鳴れる
ふるさとの
軒端なつかし
秋風吹けば
摩れあへる肩のひまより
はつかにも見きといふさへ
日記に残れり
風流男は今も昔も
泡雪の
玉手さし
捲く
夜にし
老ゆらし
かりそめに忘れても見まし
石だたみ
春
生ふる草に
埋るるがごと
その昔
揺籃に寝て
あまたたび夢にみし人か
切になつかし
神無月
岩手の山の
初雪の
眉にせまりし朝を思ひぬ
ひでり雨さらさら落ちて
前栽の
萩のすこしく
乱れたるかな
秋の空
廓寥として影もなし
あまりにさびし
烏など飛べ
雨後の月
ほどよく
濡れし
屋根瓦の
そのところどころ光るかなしさ
われ
饑ゑてある日に
細き尾を
掉りて
饑ゑて我を見る犬の
面よし
いつしかに
泣くといふこと忘れたる
我泣かしむる人のあらじか
汪然として
ああ酒のかなしみぞ我に
来れる
立ちて
舞ひなむ
鳴く
そのかたはらの石に
踞し
泣き笑ひしてひとり物言ふ
力なく
病みし
頃より
口すこし
開きて
眠るが
癖となりにき
人ひとり
得るに過ぎざる事をもて
大願とせし
若きあやまち
物
怨ずる
そのやはらかき
上目をば
愛づとことさらつれなくせむや
かくばかり
熱き涙は
初恋の日にもありきと
泣く日またなし
長く長く忘れし友に
会ふごとき
よろこびをもて水の音
聴く
秋の夜の
鋼鉄の色の大空に
火を
噴く山もあれなど思ふ
岩手山
秋はふもとの
三方の
野に満つる虫を
何と聴くらむ
父のごと秋はいかめし
母のごと秋はなつかし
家持たぬ
児に
秋
来れば
恋ふる心のいとまなさよ
夜もい
寝がてに
雁多く聴く
長月も
半ばになりぬ
いつまでか
かくも幼く
打出でずあらむ
思ふてふこと言はぬ人の
おくり
来し
忘れな
草もいちじろかりし
秋の雨に
逆反りやすき
弓のごと
このごろ
君のしたしまぬかな
松の風
夜昼ひびきぬ
人
訪はぬ山の
祠の
石馬の耳に
ほのかなる
朽木の
香り
そがなかの
蕈の香りに
秋やや深し
時雨降るごとき音して
木伝ひぬ
人によく似し森の
猿ども
森の奥
遠きひびきす
木のうろに
臼ひく
侏儒の国にかも
来し
世のはじめ
まづ森ありて
半神の人そが中に火や守りけむ
はてもなく砂うちつづく
戈壁の野に住みたまふ神は
秋の神かも
あめつちに
わが悲しみと
月光と
あまねき秋の
夜となれりけり
うらがなしき
夜の物の
音洩れ
来るを
拾ふがごとくさまよひ
行きぬ
旅の子の
ふるさとに
来て眠るがに
げに静かにも冬の
来しかな
忘れがたき人人
一
潮かをる北の
浜辺の
砂山のかの
浜薔薇よ
今年も咲けるや
たのみつる年の若さを
数へみて
指を見つめて
旅がいやになりき
三度ほど
汽車の窓よりながめたる町の名なども
したしかりけり
函館の
床屋の
弟子を
おもひ
出でぬ
耳
剃らせるがこころよかりし
わがあとを追ひ
来て
知れる人もなき
辺土に住みし母と妻かな
船に
酔ひてやさしくなれる
いもうとの
眼見ゆ
津軽の海を思へば
目を
閉ぢて
傷心の句を
誦してゐし
友の手紙のおどけ悲しも
をさなき時
橋の
欄干に
糞塗りし
話も友はかなしみてしき
おそらくは
生涯妻をむかへじと
わらひし友よ
今もめとらず
あはれかの
眼鏡の
縁をさびしげに光らせてゐし
女教師よ
友われに
飯を与へき
その友に
背きし我の
性のかなしさ
函館の
青柳町こそかなしけれ
友の
恋歌
矢ぐるまの花
ふるさとの
麦のかをりを
懐かしむ
女の
眉にこころひかれき
あたらしき洋書の紙の
香をかぎて
一途に
金を
欲しと思ひしが
しらなみの寄せて
騒げる
函館の
大森浜に
思ひしことども
朝な朝な
支那の
俗歌をうたひ
出づる
まくら時計を
愛でしかなしみ
漂泊の
愁ひを
叙して
成らざりし
草稿の字の
読みがたさかな
いくたびか死なむとしては
死なざりし
わが
来しかたのをかしく悲し
函館の
臥牛の
山の
半腹の
碑の
漢詩も
なかば忘れぬ
むやむやと
口の
中にてたふとげの事を
呟く
乞食もありき
とるに足らぬ男と思へと言ふごとく
山に
入りにき
神のごとき友
巻煙草口にくはへて
浪あらき
磯の夜霧に立ちし女よ
演習のひまにわざわざ
汽車に乗りて
訪ひ
来し友とのめる酒かな
大川の水の
面を見るごとに
郁雨よ
君のなやみを思ふ
智慧とその深き
慈悲とを
もちあぐみ
為すこともなく友は遊べり
こころざし
得ぬ人人の
あつまりて酒のむ場所が
我が家なりしかな
かなしめば高く笑ひき
酒をもて
悶を
解すといふ年上の友
若くして
数人の父となりし友
子なきがごとく
酔へばうたひき
さりげなき高き笑ひが
酒とともに
我が
腸に
沁みにけらしな
呻噛み
夜汽車の窓に別れたる
別れが今は
物足らぬかな
雨に濡れし夜汽車の窓に
映りたる
山間の町のともしびの色
雨つよく降る夜の汽車の
たえまなく
雫流るる
窓硝子かな
真夜中の
倶知安駅に
下りゆきし
女の
鬢の古き
痍あと
札幌に
かの秋われの持てゆきし
しかして今も持てるかなしみ
アカシヤの
街にポプラに
秋の風
吹くがかなしと
日記に残れり
しんとして幅広き
街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ
わが宿の姉と
妹のいさかひに
初夜過ぎゆきし
札幌の雨
石狩の
美国といへる停車場の
柵に
乾してありし
赤き
布片かな
かなしきは
小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
泣くがごと首ふるはせて
手の
相を見せよといひし
易者もありき
いささかの
銭借りてゆきし
わが友の
後姿の
肩の雪かな
世わたりの
拙きことを
ひそかにも
誇りとしたる我にやはあらぬ
汝が
痩せしからだはすべて
謀叛気のかたまりなりと
いはれてしこと
かの年のかの新聞の
初雪の記事を書きしは
我なりしかな
椅子をもて我を
撃たむと
身構へし
かの友の
酔ひも
今は
醒めつらむ
負けたるも我にてありき
あらそひの
因も我なりしと
今は思へり
殴らむといふに
殴れとつめよせし
昔の我のいとほしきかな
汝三度
この
咽喉に
剣を
擬したりと
彼告別の
辞に言へりけり
あらそひて
いたく
憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も
来ぬ
あはれかの
眉の
秀でし少年よ
弟と呼べば
はつかに
笑みしが
わが妻に着物
縫はせし友ありし
冬早く
来る
植民地かな
平手もて
吹雪にぬれし顔を
拭く
友共産を主義とせりけり
酒のめば
鬼のごとくに青かりし
大いなる顔よ
かなしき顔よ
樺太に
入りて
新しき宗教を
創めむといふ
友なりしかな
治まれる世の
事無さに
飽きたりといひし頃こそ
かなしかりけれ
共同の薬屋開き
儲けむといふ友なりき
詐欺せしといふ
あをじろき
頬に涙を光らせて
死をば語りき
若き
商人
子を
負ひて
雪の吹き
入る停車場に
われ見送りし妻の
眉かな
敵として憎みし友と
やや長く手をば
握りき
わかれといふに
ゆるぎ
出づる汽車の窓より
人先に顔を引きしも
負けざらむため
みぞれ降る
石狩の野の汽車に読みし
ツルゲエネフの物語かな
わが去れる
後の
噂を
おもひやる
旅出はかなし
死ににゆくごと
わかれ
来てふと
瞬けば
ゆくりなく
つめたきものの頬をつたへり
忘れ
来し
煙草を思ふ
ゆけどゆけど
山なほ遠き雪の野の汽車
うす
紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を
照せり
腹すこし
痛み
出でしを
しのびつつ
長路の汽車にのむ
煙草かな
乗合の
砲兵士官の
剣の
鞘
がちゃりと鳴るに思ひやぶれき
名のみ知りて
縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が
家のごと
伴なりしかの代議士の
口あける青き
寐顔を
かなしと思ひき
今夜こそ思ふ
存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな
水蒸気
列車の窓に花のごと
凍てしを
染むる
あかつきの色
ごおと鳴る
凩のあと
乾きたる雪舞ひ立ちて
林を
包めり
空知川雪に
埋れて
鳥も見えず
岸辺の林に人ひとりゐき
寂莫を敵とし友とし
雪のなかに
長き一生を送る人もあり
いたく汽車に疲れて
猶も
きれぎれに思ふは
我のいとしさなりき
うたふごと駅の名呼びし
柔和なる
若き
駅夫の眼をも忘れず
雪のなか
処処に屋根見えて
煙突の
煙うすくも空にまよへり
遠くより
笛ながながとひびかせて
汽車今とある森林に
入る
何事も思ふことなく
日一日
汽車のひびきに心まかせぬ
さいはての駅に
下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ
入りにき
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
こほりたるインクの
罎を
火に
翳し
涙ながれぬともしびの
下
顔とこゑ
それのみ昔に変らざる友にも会ひき
国の
果にて
あはれかの国のはてにて
酒のみき
かなしみの
滓を
啜るごとくに
酒のめば悲しみ一時に
湧き
来るを
寐て夢みぬを
うれしとはせし
出しぬけの女の笑ひ
身に
沁みき
厨に酒の
凍る真夜中
わが
酔ひに心いためて
うたはざる女ありしが
いかになれるや
小奴といひし女の
やはらかき
耳朶なども忘れがたかり
よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の
右手のあたたかさかな
死にたくはないかと言へば
これ見よと
咽喉の
痍を見せし女かな
芸事も顔も
かれより
優れたる
女あしざまに我を言へりとか
舞へといへば立ちて舞ひにき
おのづから
悪酒の
酔ひにたふるるまでも
死ぬばかり我が
酔ふをまちて
いろいろの
かなしきことを
囁きし人
いかにせしと言へば
あをじろき
酔ひざめの
面に
強ひて
笑みをつくりき
かなしきは
かの
白玉のごとくなる腕に残せし
キスの
痕かな
酔ひてわがうつむく時も
水ほしと
眼ひらく時も
呼びし名なりけり
火をしたふ虫のごとくに
ともしびの明るき
家に
かよひ
慣れにき
きしきしと寒さに踏めば
板軋む
かへりの廊下の
不意のくちづけ
その
膝に
枕しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり
さらさらと氷の
屑が
波に鳴る
磯の月夜のゆきかへりかな
死にしとかこのごろ聞きぬ
恋がたき
才あまりある男なりしが
十年まへに作りしといふ
漢詩を
酔へば
唱へき
旅に
老いし友
吸ふごとに
鼻がぴたりと
凍りつく
寒き空気を吸ひたくなりぬ
波もなき二月の
湾に
白塗の
外国船が低く浮かべり
三味線の
絃のきれしを
火事のごと騒ぐ子ありき
大雪の
夜に
神のごと
遠く姿をあらはせる
阿寒の山の雪のあけぼの
郷里にゐて
身投げせしことありといふ
女の
三味にうたへるゆふべ
葡萄色の
古き手帳にのこりたる
かの
会合の時と
処かな
よごれたる
足袋穿く時の
気味わるき思ひに似たる
思出もあり
わが
室に女泣きしを
小説のなかの事かと
おもひ
出づる日
浪淘沙
ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな
二
いつなりけむ
夢にふと
聴きてうれしかりし
その声もあはれ長く聴かざり
頬の寒き
流離の旅の人として
路問ふほどのこと言ひしのみ
さりげなく言ひし言葉は
さりげなく君も聴きつらむ
それだけのこと
ひややかに清き
大理石に
春の日の静かに照るは
かかる思ひならむ
世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒き
瞳の
今も目にあり
かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど
真白なるラムプの
笠の
瑕のごと
流離の記憶消しがたきかな
函館のかの
焼跡を去りし
夜の
こころ残りを
今も残しつ
人がいふ
鬢のほつれのめでたさを
物書く時の君に見たりし
馬鈴薯の花咲く頃と
なれりけり
君もこの花を好きたまふらむ
山の子の
山を思ふがごとくにも
かなしき時は君を思へり
忘れをれば
ひょっとした事が思ひ出の
種にまたなる
忘れかねつも
病むと聞き
癒えしと聞きて
四百里のこなたに我はうつつなかりし
君に似し姿を
街に見る時の
こころ
躍りを
あはれと思へ
かの声を
最一度聴かば
すっきりと
胸や
霽れむと
今朝も思へる
いそがしき
生活のなかの
時折のこの物おもひ
誰のためぞも
しみじみと
物うち語る友もあれ
君のことなど語り
出でなむ
死ぬまでに一度会はむと
言ひやらば
君もかすかにうなづくらむか
時として
君を思へば
安かりし心にはかに騒ぐかなしさ
わかれ
来て
年を重ねて
年ごとに恋しくなれる
君にしあるかな
石狩の
都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ
長き
文
三年のうちに
三度来ぬ
我の書きしは
四度にかあらむ
手套を脱ぐ時
手套を
脱ぐ手ふと
休む
何やらむ
こころかすめし思ひ出のあり
いつしかに
情をいつはること知りぬ
髭を立てしもその頃なりけむ
朝の湯の
湯槽のふちにうなじ
載せ
ゆるく
息する物思ひかな
夏
来れば
うがひ薬の
病ある歯に
沁む朝のうれしかりけり
つくづくと手をながめつつ
おもひ
出でぬ
キスが
上手の女なりしが
さびしきは
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤き花など買はせけるかな
新しき本を買ひ来て読む
夜半の
そのたのしさも
長くわすれぬ
旅七日
かへり
来ぬれば
わが窓の赤きインクの
染みもなつかし
古文書のなかに見いでし
よごれたる
吸取紙をなつかしむかな
手にためし雪の
融くるが
ここちよく
わが
寐飽きたる心には
沁む
薄れゆく
障子の
日影
そを見つつ
こころいつしか暗くなりゆく
ひやひやと
夜は薬の
香のにほふ
医者が住みたるあとの
家かな
窓硝子
塵と雨とに
曇りたる窓硝子にも
かなしみはあり
六年ほど
日毎日毎にかぶりたる
古き帽子も
棄てられぬかな
こころよく
春のねむりをむさぼれる
目にやはらかき庭の草かな
赤煉瓦遠くつづける
高塀の
むらさきに見えて
春の日ながし
春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦
造に
やはらかに降る
よごれたる煉瓦の壁に
降りて
融け降りては融くる
春の雪かな
目を
病める
若き女の
倚りかかる
窓にしめやかに春の雨降る
あたらしき木のかをりなど
ただよへる
新開町の春の静けさ
春の
街
見よげに書ける
女名の
門札などを読みありくかな
そことなく
蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて
夕となりぬ
にぎはしき若き女の
集会の
こゑ
聴き
倦みて
さびしくなりたり
何処やらに
若き女の死ぬごとき
悩ましさあり
春の
霙降る
コニャックの
酔ひのあとなる
やはらかき
このかなしみのすずろなるかな
白き
皿
拭きては
棚に
重ねゐる
酒場の
隅のかなしき女
乾きたる冬の
大路の
何処やらむ
石炭酸のにほひひそめり
赤赤と
入日うつれる
河ばたの酒場の窓の
白き顔かな
新しきサラドの
皿の
酢のかをり
こころに
沁みてかなしき
夕
空色の
罎より
山羊の乳をつぐ
手のふるひなどいとしかりけり
すがた見の
息のくもりに消されたる
酔ひうるみの
眸のかなしさ
ひとしきり静かになれる
ゆふぐれの
厨にのこるハムのにほひかな
ひややかに
罎のならべる
棚の前
歯せせる女を
かなしとも見き
やや長きキスを
交して別れ
来し
深夜の街の
遠き火事かな
病院の窓のゆふべの
ほの
白き顔にありたる
淡き
見覚え
何時なりしか
かの
大川の
遊船に
舞ひし女をおもひ
出にけり
用もなき
文など長く書きさして
ふと人こひし
街に
出てゆく
しめらへる
煙草を吸へば
おほよその
わが思ふことも
軽くしめれり
するどくも
夏の
来るを感じつつ
雨後の
小庭の土の
香を
嗅ぐ
すずしげに
飾り立てたる
硝子屋の前にながめし
夏の夜の月
君来るといふに
夙く起き
白シャツの
袖のよごれを気にする日かな
おちつかぬ我が弟の
このごろの
眼のうるみなどかなしかりけり
どこやらに
杭打つ音し
大桶をころがす音し
雪ふりいでぬ
人気なき
夜の事務室に
けたたましく
電話の
鈴の鳴りて止みたり
目さまして
ややありて耳に
入り
来る
真夜中すぎの話声かな
見てをれば時計とまれり
吸はるるごと
心はまたもさびしさに
行く
朝朝の
うがひの
料の
水薬の
罎がつめたき秋となりにけり
夷かに麦の青める
丘の根の
小径に赤き
小櫛ひろへり
裏山の
杉生のなかに
斑なる
日影這ひ
入る
秋のひるすぎ
港町
とろろと鳴きて輪を描く
鳶を
圧せる
潮ぐもりかな
小春日の
曇硝子にうつりたる
鳥影を見て
すずろに思ふ
ひとならび泳げるごとき
家家の
高低の
軒に
冬の日の舞ふ
京橋の
滝山町の
新聞社
灯ともる頃のいそがしさかな
よく
怒る人にてありしわが父の
日ごろ
怒らず
怒れと思ふ
あさ風が電車のなかに吹き
入れし
柳のひと葉
手にとりて見る
ゆゑもなく海が見たくて
海に来ぬ
こころ
傷みてたへがたき日に
たひらなる海につかれて
そむけたる
目をかきみだす赤き
帯かな
今日
逢ひし町の女の
どれもどれも
恋にやぶれて帰るごとき日
汽車の旅
とある
野中の停車場の
夏草の
香のなつかしかりき
朝まだき
やっと
間に
合ひし
初秋の
旅出の汽車の
堅き
麺麭かな
かの旅の夜汽車の窓に
おもひたる
我がゆくすゑのかなしかりしかな
ふと見れば
とある林の停車場の時計とまれり
雨の
夜の汽車
わかれ
来て
燈火小暗き夜の汽車の窓に
弄ぶ
青き
林檎よ
いつも
来る
この
酒肆のかなしさよ
ゆふ日
赤赤と酒に
射し
入る
白き
蓮沼に咲くごとく
かなしみが
酔ひのあひだにはっきりと浮く
壁ごしに
若き女の泣くをきく
旅の宿屋の秋の
蚊帳かな
取りいでし
去年の
袷の
なつかしきにほひ身に
沁む
初秋の朝
気にしたる左の
膝の痛みなど
いつか
癒りて
秋の風吹く
売り売りて
手垢きたなきドイツ語の辞書のみ残る
夏の末かな
ゆゑもなく
憎みし友と
いつしかに親しくなりて
秋の暮れゆく
赤紙の表紙
手擦れし
国禁の
書を
行李の底にさがす日
売ることを差し
止められし
本の著者に
路にて会へる秋の朝かな
今日よりは
我も酒など
呷らむと思へる日より
秋の風吹く
大海の
その
片隅につらなれる
島島の上に
秋の風吹く
うるみたる目と
目の下の
黒子のみ
いつも目につく友の妻かな
いつ見ても
毛糸の玉をころがして
韈を
編む女なりしが
葡萄色の
長椅子の上に眠りたる猫ほの
白き
秋のゆふぐれ
ほそぼそと
其処ら
此処らに虫の鳴く
昼の野に来て読む手紙かな
夜おそく戸を
繰りをれば
白きもの庭を走れり
犬にやあらむ
夜の二時の窓の
硝子を
うす
紅く
染めて音なき火事の色かな
あはれなる恋かなと
ひとり
呟きて
夜半の
火桶に
炭添へにけり
真白なるラムプの
笠に
手をあてて
寒き夜にする物思ひかな
水のごと
身体をひたすかなしみに
葱の
香などのまじれる
夕
時ありて
猫のまねなどして笑ふ
三十路の友のひとり
住みかな
気弱なる
斥候のごとく
おそれつつ
深夜の街を一人散歩す
皮膚がみな耳にてありき
しんとして眠れる
街の
重き靴音
夜おそく停車場に
入り
立ち
坐り
やがて
出でゆきぬ
帽なき男
気がつけば
しっとりと夜霧
下りて
居り
ながくも街をさまよへるかな
若しあらば
煙草恵めと
寄りて
来る
あとなし
人と深夜に語る
曠野より帰るごとくに
帰り
来ぬ
東京の
夜をひとりあゆみて
銀行の窓の下なる
舗石の
霜にこぼれし
青インクかな
ちょんちょんと
とある
小藪に
頬白の遊ぶを眺む
雪の
野の
路
十月の朝の空気に
あたらしく
息
吸ひそめし
赤坊のあり
十月の産病院の
しめりたる
長き廊下のゆきかへりかな
むらさきの
袖垂れて
空を見上げゐる
支那人ありき
公園の午後
孩児の手ざはりのごとき
思ひあり
公園に来てひとり
歩めば
ひさしぶりに公園に来て
友に会ひ
堅く手握り
口疾に語る
公園の
木の
間に
小鳥あそべるを
ながめてしばし
憩ひけるかな
晴れし日の公園に来て
あゆみつつ
わがこのごろの
衰へを知る
思出のかのキスかとも
おどろきぬ
プラタヌの葉の散りて
触れしを
公園の
隅のベンチに
二度ばかり見かけし男
このごろ見えず
公園のかなしみよ
君の
嫁ぎてより
すでに
七月来しこともなし
公園のとある
木蔭の
捨椅子に
思ひあまりて
身をば寄せたる
忘られぬ顔なりしかな
今日
街に
捕吏にひかれて
笑める男は
マチ
擦れば
二尺ばかりの明るさの
中をよぎれる白き
蛾のあり
目をとぢて
口笛かすかに吹きてみぬ
寐られぬ夜の窓にもたれて
わが友は
今日も母なき子を負ひて
かの
城址にさまよへるかな
夜おそく
つとめ先よりかへり
来て
今死にしてふ
児を
抱けるかな
二三こゑ
いまはのきはに
微かにも泣きしといふに
なみだ
誘はる
真白なる大根の根の
肥ゆる頃
うまれて
やがて死にし
児のあり
おそ秋の空気を
三尺四方ばかり
吸ひてわが児の死にゆきしかな
死にし児の
胸に注射の針を刺す
医者の手もとにあつまる心
底知れぬ
謎に
対ひてあるごとし
死児のひたひに
またも手をやる
かなしみのつよくいたらぬ
さびしさよ
わが児のからだ
冷えてゆけども
かなしくも
夜明くるまでは残りゐぬ
息きれし児の
肌のぬくもり