『
訓蒙図彙』は、江戸時代前期の寛文 6 年〈1666年〉に、京都の儒学者、本草学者の
中村惕斎
(1629 -1702)よって編纂された事典で、様々な事物を図版を用いて解説し、日本で始めて作られた図入りの事典とされる。
全 20 巻からなり、天文・地理・居処・人物・身体・衣服・宝貨・器用・畜獣・禽鳥・竜魚・虫介・米穀・菜蔬・果蓏・樹竹・花草の 17 の分類から構成される。
1,484 にのぼる項目、図版が用意され、漢字で書かれた各事物の名称の横には仮名で音読みを記し、和名と漢文による説明がその下に記される。
『訓蒙図彙』の凡例には、「引証の図書」として様々な漢籍、国書に倣ったことが記され、漢籍では中国・明の時代の万暦 37 年〈1609年〉に出版された
王圻の編纂による『三才図会
』(国立国会図書館蔵「三才図会」 )や『農政全書』〈1639年〉(国立国会図書館蔵「農政全書 1843年版」 )、国書では『和名類聚抄』〈934年頃〉(国立国会図書館蔵「和名類聚抄 1617年版」 )や『多識編』〈1630年〉(国立国会図書館蔵「多識編 1649年版」 )などがあげられている。
編纂した中村惕斎は、執筆に至った切っ掛けを「叙」で次のように記す。
「吾が家に児女有り。皆方に垂髫、内に姆の従ふべき無く、外に傅の就くべき無し。乃ち対照の制に倣ひて四言千字を連綴し、副るに国字を以てし、傍るに画象を以てして之を授く」
曰く、「我が家には小さな子がいるが乳母も教育を担ってくれる師もいない。そこで『千字文』を連ね、国字を添え、画図も付けてこれを与えることにした」と。
ここでは、日本最初の図解事典とされる『
訓蒙図彙
』の全ての図版(1,484 図)を、国立国会図書館が所蔵する版(国立国会図書館蔵「訓蒙図彙」 )から見てみることにする。
なお、『訓蒙図彙』の刊行から 29 年後の、元禄 8 年〈1695年〉に出版された『
頭書増補 訓蒙図彙
』(国立国会図書館蔵「頭書増補 訓蒙図彙」 )での表記の一部も参考に付記した。