第二十一段
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- 《第二十一段》“ 万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ”
- 《第八十三段》“ 「亢竜の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり”
- 《第百三十七段》“ 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し”“ 望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ちいでたるが、いと心深う、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり”
- 《第二百十一二段》“ 秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり”
- 《第二百三十九段》“ 八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす”
- 《第二百四十一段》“望月の円かなる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ”
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- 毎月の満月、新月、上弦、下弦が何日の何時に当たるのかは、国立天文台天文情報センターによる『今月のこよみ』でご確認ください。
《第二十一段》
(国立国会図書館蔵)
月・花はさらなり。風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るる水の気色こそ、時をも分かずめでたけれ。「
第二十一段
月・花はさらなり。風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るる水の気色こそ、時をも分かずめでたけれ。「
よろずのことは、つきみるにこそ、なぐさむものなれ。あるひとの、「つきばかりおもしろきものはあらじ」といいしに、またひとり、「つゆこそなほあ われなれ」とあらそいしこそ、おかしけれ。おりにふれば、なにかはあはれならざらん。
つき・はなはさらなり、かぜのみこそ、ひとにこころはつくめれ。いわにくだけてきよくながるゝみずのけしきこそ、ときをもわかずめでたけれ。「げん・しょう、にちや、ひんがしにながれさる。しゅうじんのためにとどまることしばらくもせず」といえるしをみはべりしこそ、あはれなりしか。
けいこうも、「さんたくにあそびて、ぎょちょうをみれば、こころたのしぶ」といえり。ひととおく、みずくさきよきところにさまよいありきたるばかり、 こころなぐさむことはあらじ。
どんなときも、月を見ると心が癒やされるものである。ある人が、「月ほど面白いものはない」と言ったところ、また一人が「露こそ趣深い」と争ったのは実に面白いことであった。折にふれれば、何であろうと趣深くないことがあろうか。
月・花は言うまでもない。風はまったく、人に風流心を与えるものであろう。岩に砕けて清く流れる水の情景は、実に、季節を問わず素晴らしいものだ。
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竹林の七賢の一人