[3] 鎌倉時代からの文献に見る七草の種類
= 春の七草・春の七種 =
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春の七草
七草がゆの作り方
秋の七草
秋の七草の家紋
夏の七草
冬の七草
七草の英名
※ページ内の画像は、クリックして拡大することが出来ます。
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[3] 鎌倉時代からの文献に見る「七草・七種」の種類
- 1月7日は五節句の一つ「
人日の節句
」で、この日には春の七草が入った「七草粥」を食べて邪気を祓い、一年の無病息災と五穀豊穣を祈るとされる風習があります。
- 人日の風習は、前項でも触れた通り、6世紀の半ば
(550年と仮定して今から1475年前)に書かれたとされる中国の年中行事記「
荊楚歳時記
」に、「正月七日を人日となす。七種の菜をもって
羹
をつくる」とあります。
- 日本での人日の風習は、後述する
鴨長明の「
歌林四季物語」に、「なゝくさのみくさ集むること人日
菜羹
を和すれば
一歳
の病患を逃るる」「とよみけかしきやひめの五年に事起こりて」などとあり、この「とよみけかしきやひめの五年」は 推古天皇5年〈西暦597年〉のことで、日本では
今から1428年前
に人日の行事が始まったことになります。
歌林四季物語
- 若菜を摘む風習は万葉集や古今和歌集にも見られ、光孝天皇の「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」(古今和歌集)などが有名です。
「若菜摘み」の風習
- 春の七草の種類は、現代では「
芹
薺
御行
繁縷
仏の座
菘
蘿蔔
これぞ七草 」という言い方が定着し、時期になると「春の七草」がパック詰めされた商品が店頭に並ぶ光景が見られます。
- 「せり なずな おぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」の、短歌の形での言い回しが初めて見られたのは、現時点での当サイトの調査では、至徳元年・1384年(今から641年前)頃に成立したとされる『梵灯庵袖下集
』という連歌の語彙注釈集です。
梵灯庵袖下集
- パックに入っている植物の内、「ホトケノザ」は「コオニタビラコ」が入っているのが一般的のようで、現在の「ホトケノザ」は食用には適さないということについては前述しました。
- では、現代に伝わる「春の七草」に当たる植物はどのように伝えられて来たのでしょうか。いくつかの文献などを参考にその種類などを見てみます。
*この他にも下記のような文献もある。リンクを参照されたい。
二条良基(元応2年〈1320年〉- 嘉慶2年/元中5年6月13日〈1388年7月16日〉)の撰・著とされる「
蔵玉和歌集
」の国立国会図書館所蔵版では、「
附七種考」として、「拾芥抄」「壒嚢鈔」などの文献を引き考証を加えている。
国立国会図書館
ただし、この国立国会図書館所蔵版は、二条良基より160年程後の「世諺問答(天文13年〈1544年〉)」のから引用も見られ、また、「宝暦3年〈1753年〉」の文字も見られることから、「附七種考」は後世の書写版作成の際に書き加えられたものではないかと思われる。書写年、書写者は不明。
北野秋芳著「
春野七草考・春野七種考」(文化11年〈1814年〉)でも様々な文献を引き七種を紹介している。
国立国会図書館
屋代弘賢の編纂による「
古今要覧稿
」(文政4年〈1821年〉~天保13年(1842)成立)でも様々な文献を引き「若菜」「七種菜」を紹介している。
国立国会図書館
ここからは、「七草・七種」の種類が登場する文献を見てみます。
- 「七草」の種類について古い文献を見てみましたが、日本には、古来から「若菜摘み」という風習があり、そのことは「万葉集」や「古今集」「枕草子」などにも見られます。
- この「若菜摘み」の風習は、「七草がゆ」の風習とは切っても切れないもののようで、次のページでは「七草がゆ」の風習と「若菜摘み」の風習・行事などについて見てみます。
- このページでは、いくつかの文献を引いていますが、この他にも文献や説があることも考えられ、ここに述べたことが全ての情報ではありません。皆様からのご指摘をお待ち致します。
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