[9]【参考】「七草」「七草粥」「囃子詞」などが登場する明治以降の文献
= 春の七草・春の七種 =
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春の七草
七草がゆの作り方
秋の七草
秋の七草の家紋
夏の七草
冬の七草
七草の英名
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[9]【参考】「七草」「七草粥」「囃子詞」などが登場する明治以降の文献
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『墨汁一滴』 正岡子規 1901年(明治34年)
一月七日の会に 麓のもて 来しつとこそいとやさしく興あるものなれ。長き手つけたる竹の 籠の小く浅きに木の葉にやあらん敷きなして土を盛り七草をいささかばかりづつぞ植ゑたる。一草ごとに三、四寸ばかりの札を立て添へたり。正面に 亀野座といふ札あるは 菫の 如き草なり。こは 仏の 座とあるべきを 縁喜物なれば仏の字を忌みたる植木師のわざなるべし。その左に 五行とあるは厚き細長き葉のやや白みを帯びたる、こは春になれば黄なる花の咲く草なり、これら皆寸にも足らず。その後に植ゑたるには 田平子の札あり。はこべらの事か。 真後に 芹と 薺とあり。薺は二寸ばかりも伸びてはや 蕾のふふみたるもゆかし。右側に植ゑて 鈴菜とあるは 丈三寸ばかり小松菜のたぐひならん。真中に 鈴白の札立てたるは葉五、六寸ばかりの 赤蕪にて 紅の根を半ば土の上にあらはしたるさま 殊にきはだちて目もさめなん心地する。『 源語』『 枕草子』などにもあるべき 趣なりかし。
あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため
(一月十七日)
注:文字での底本は「青空文庫」。
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「江戸府内絵本風俗往来」
菊池貴一郎(蘆乃葉散人・歌川広重四代)
1905年(明治38年)
七種
正月もはや七草となるや、町家は家業に従事するより心に 隙
なく、武家は七種までは新年の式務に 忙しく、七種過ぎより追々 平務に復す。六日の宵は家々の古式、後の世に到りては空しきことも多かるめれども、かわらぬ御代と祝し参らす当時なるまま、御台所掛りにては紋付小袖に麻上下を着し、 遠土の鳥の渡らぬ先より、恵方に向かい若草を打ちはやす。ストトントン、戸々に響く。この日門の松飾り・〆縄は取り払い、翌七種は若菜の 粥を 食べけるは、当日の祝なりける。
七草といっても、せいぜい、一、二種だが、江戸では六日に「なず菜なず菜」と呼んで売り歩く。上方では「吉慶のなずな祝うて一貫が買うてくれ」と呼び歩いた。七草をはやすのは鳥追の予祝行事で、「唐土(尊とが正しい)の鳥が日本の国へ渡らぬ先に七草なずな」とはやして叩く。上方では「……なずな七草」といった。六日の晩と七日の早朝の二度はやすのは、今から見ると丁寧至極だが、もとは宵から晩まで時を定めて何回も夜通し叩いたという。七草の粥には江戸では、なず菜少量に小松菜を主に入れた。
『絵本江戸風俗往来』鈴木棠三編 48ページより
平凡社「東洋文庫」(昭和40年・1965年刊)
注:この字下げをした部分は、明治38年・1905年に刊行された『江戸府内絵本風俗往来』を、昭和40年・1965年に平凡社が「東洋文庫」の中で『絵本江戸風俗往来』として出版する際に、編者となった鈴木棠三(1911-1992)が解説として書き加えたもの。
注:鈴木棠三の、この部分の解説の出典は明らかにされていないが、江戸後期に書かれた『 守貞謾稿』と文言がよく似ていることから、これを参考にしたものではないかと思われる。(鈴木棠三の『絵本江戸風俗往来』では、『守貞謾稿』からの引用が多用されている)
注:「江戸府内絵本風俗往来」は、明治から大正にかけての浮世絵師菊池貴一郎・四代目歌川広重(嘉永2年・1849年 〜 大正14年・1925年)が、江戸の年中行事や市井の雑事に関する話題などを、『江戸の旧事を知るものも稀になった』として、それを伝えるために自らの挿絵を交えて書いたもの。
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「残されたる江戸」 柴田流星 1911年(明治44年)
三ヶ日と七草
かくてぞ喜びをまつの内はあわただしく過ぎて、七日のまだき、澄みきった旦の空気に高々と響き亘る薺打ちの音、「七草なずな、唐土の鶏が、日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン」と彼方からも此方からも聞え初めると、昨日までの門松も飾藁も名残なく取去られて、浮世は元の姿にかえるも淋しい。しかし江戸ッ児には二十日正月までの物日はまだ乏しくないのだ。
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「田舍の新春」 横瀬夜雨 1934年(昭和9年)
ななくさがゆ
正月七日粥をつくる。七種を混じたる粥で米、粟、黍子、稗子、胡麻子、小豆でつくるのが正式らしいがこの辺では野菜を多く入れる。
冬菜、芋、大根、米などでつくり、七いろはいれない。その菜や大根を刻む時
七くさ なずな
唐土の 鳥が
渡らぬ 先に
ストトン、トントン
と唄って、調子をとりながら陽気につくる。この唄は実に庖丁のリズムにあっている。この昔からの唄も次第に忘れられてしまいそうだ。唐土の鳥とはなにを意味するのであろうか。餅なのでお腹の具合がわるくなっている時、この粥は健康上にもいいわけだ。白粥の中に入っている青菜は、青いもののない真冬時であれば、更に新鮮で初々しい。
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「魔像 新版大岡政談」 林不忘 1968年(昭和43年)
ちょうど七草の日だ。
これこそ日本晴れという天気であろう。紺いろの空に、鳶が一羽、悠々と輪をえがいて、気のせいか、道ゆく人の袂をなぶる風にも、初春らしい陽のうごきが見られる。女の廻礼は七日過ぎてからとなっている。町家の内儀や娘らしいのがそれぞれに着飾って、萠黄の風呂敷包などを首から下げた丁稚を供に伴れて三々伍々町を歩いている。長閑な景色だ。
七草なずな、唐土の鳥が――の唄に合わせて、とことん! とことん! と俎板を叩く音が、吉例により、立ち並ぶ家々のなかから、節面白く陽気に聞えて来ていた。
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Last updated : 2024/06/28