皇紀
「皇紀」は、神武天皇即位の年を元年と定めた日本の紀元で、皇紀元年は、西暦を660年遡る西暦紀元前660年(660 BC)にあたります。
1872年(明治5年)に、「太政官布告第342号」により制定され、「神武天皇即位紀元」といい、通称は皇紀、皇暦、神武暦、神武紀元などともいわれます。
「皇紀」は、第二次世界大戦敗戦後の昭和23年・1948年に廃止されました。
リンク:太政官布告第342号(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
神武天皇
神武天皇(紀元前711年?~紀元前585年4月9日?)は、日本の初代天皇とされ、『古事記』『日本書紀』に登場しますが、現在の歴史学上は神話・伝説上の人物とされています。
「日本書紀」によれば、天皇としての在位は神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)~神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日)の76年間とされ、これによれば、亡くなった年齢は127歳だったことになります。
紀元節
神武天皇が即位したとされる旧暦1月1日は、現在の暦では2月11日にあたり、1873年(明治6年)に、2月11日を「紀元節」の名称で日本国が建国した日として休日と定められました。
1889年(明治22年)には、2月11日に大日本帝国憲法が発布され、これ以降、大日本帝国憲法発布を記念する日にもなりました。
1891年(明治24年)には小学校祝日大祭儀式規程(明治24年6月17日文部省令第4号)が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式が小学校で行われました。
紀元節の廃止
1872年(明治5年)に制定された紀元節は、1948年(昭和23年)7月20日、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に制定された「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止されました。
建国記念の日
一度廃止された「紀元節」の復活に向けた動きは根強く、1957年(昭和32年)2月に、自由民主党衆院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出されましたが成立しませんでした。
その後、数度の法案提出と廃案を経て、名称に「の」を入れた「建国記念の日」とすることで、“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立しました。
これにより、神話・伝説上の事柄であり、侵略戦争を美化するための道具とされてきたとの主張もある「紀元節」が、事実上復活したとの見方があります。
皇紀2600年と戦争
昭和15年(1940年)が「皇紀2600年」という節目にあたったことから、時節柄「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが強められていたこととも相まって、当時の政府は様々な行事を推し進めようとしました。
折しも、昭和15年(1940年)が、日中戦争(1937年[昭和12年]~1945年[昭和20年])真っ直中となり、政府は長引く戦局と窮乏する国民生活の疲弊感を様々な祭りや行事に参加させることで晴らそうとし、昭和15年(1940年)年初には橿原神宮の初詣ラジオ中継、紀元節には全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会や体育大会など様々な記念行事が全国各地で催されました。
11月10日には、皇居宮城前広場で政府主催の「紀元二千六百年式典」が催され祝賀ムードは最高潮に達しましたが、戦時下の国民生活はますます厳しさを増していくこととなります。
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