七草がゆの儀式 - 七草たたき
《江戸時代の文献に沿って七草がゆの準備》
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春の七草
七草がゆの作り方
秋の七草
秋の七草の家紋
夏の七草
冬の七草
七草の英名
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■ 一月七日、「
人日の節句」は、七草(七種)の粥を食す日です。
■ 七草がゆを作る際に、一年間の無病息災、五穀豊穣を祈る儀式があります。
■ 江戸時代の文献に沿って七草がゆの準備をしてみましょう。
- 一月六日に七草を購入します。
- 六日の日には七草売りが来ます。
- 京都・大阪では「吉慶のなずな、祝いて一貫が買うておくれ」との売り声が町を行きます。
- 江戸では「なずな、なずな」との売り声が町を行きます。
- 六日の夜と、七日の暁の二度、これを “はやし” ます。
- まず、まな板の上に「なずな」を置きます。
- その傍らには、薪・庖丁・火箸・
磨子木・杓子
・銅杓子・菜箸などの調理の際に使う台所道具を七種類置きます。
- 続いて、その年の福徳を司る歳徳神がいらっしゃる恵方
を向きます。
- ここで、やおら庖丁を手に取り、次の言葉を囃しながらまな板を叩きます。
七草囃子[例1]
「七草囃子」
七草なずな 唐土の鳥が
日本の土地へ 渡らぬ先に
七草なずな 手に摘み入れて
亢觜斗張
*この「七草囃子」は、言い伝えなどを総合して作ったもので、これが正しいということではありません。
七草囃子[例2]
「七草囃子」
七草なずな 唐土の鳥と
日本の鳥と 渡らぬ先に
七草なずな 手に摘み入れて
亢觜斗張
*この「七草囃子」は、言い伝えなどを総合して作ったもので、これが正しいということではありません。
- 下記「守貞謾稿」によれば、京都・大阪では、
「
唐土
の鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに、なずな
七草
、はやしてほとと」と、
- 江戸では、
「
唐土
うんぬん渡らぬさきに、七草なずな」と囃します。
- 残り六つの道具も次々に手に取り、囃子詞をくり返し唱えて “はやし” ます。
- それぞれ七回ずつ、合わせて四十九回叩くのが本来です。
- これで、疫病を運んできたり農耕に悪さをする鳥を追い払い、一年間の無病息災、五穀豊穣を祈ります。
- こうして準備をした七草を、七日の朝にお粥に炊き込んで家族全員でいただきます。
- こうした、七草を “はやして” “叩く” 風習を表す言葉として、「七草たたき・七種たたき」「七草の囃子・七種の囃子」「七草を囃す・七種を囃す」などがあります。
■ 江戸時代に、喜田川守貞という人が書いた「守貞謾稿 巻之二十六(春時)」に、『七草』についての記述があります。
正月七日 今朝、三都ともに
七種の 粥
を食す。 [編集注:三都とは、江戸、京都、大阪のこと]
七草の歌に曰く、 芹、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すゞな、すゞしろ、これぞ七種。以上を七草と云うなり。しかれども、今世、民間には一、二種を加うのみ。
三都ともに六日に困民・小農ら市中に出て、これを売る。京坂にては売詞に曰く、吉慶のなずな、祝いて一貫が買うておくれ、と云う。一貫は、一銭を云う戯言なり。江戸にては、なずな/\と呼び行くのみ。
三都ともに六日これを買い、同夜と七日暁と再度これをはやす。はやすと云うは、 俎になずなを置き、その傍に薪・庖丁・火箸・ 磨子木・ 杓子・銅杓子・菜箸等七具を添え、 歳徳神
の方に向い、まず庖丁を取りて、俎板を拍ち
囃子て曰く、「 唐土の鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに、なずな 七種、はやしてほとゝ」と云う。江戸にて「唐土云々渡らぬさきに、七種なずな」と云う。残り六具を、次第にこれを取り、この語をくり返し唱えはやす。
(中略)ある書に曰く、七草は、七づゝ七度、合せて四十九
叩くを本とす。
[編集注:「
唐土
」は、「もろこし」「から」とも読み、昔、日本から中国を呼んだ言葉で、ここでの「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬさきに」は、大陸から鳥が疫病を持って来ないうちに、また、農耕に悪さをする鳥を追い払うという意味と思われる。なお、この囃子詞には、「唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬさきに、七草なずなな」など、伝承によって様々ある]
【編集注】「 守貞謾稿」は、天保8年(1837年)
から慶応3年(1867年)
まで、 喜田川守貞によって30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。
【編集注】「
守貞謾稿
」は、国立国会図書館デジタル化資料で読むことが出来ます。
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Last updated : 2024/06/28