七草爪・七種爪
= 一月七日は初めて爪を切る日 =
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春の七草
七草がゆの作り方
秋の七草
秋の七草の家紋
夏の七草
冬の七草
七草の英名
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■ 一月七日(人日の節句)は「七草がゆ」を食す日ですが、「
七草爪
(七種爪)」または「菜爪」「七日爪」などといって初めて爪を切る日でもあります。
■ この日に爪を切ると、邪気を払うことが出来て、一年間風邪を引いたり病気になったりしないとされます。
「七草爪(七種爪)」の儀式
- 七草がゆを作る朝に、“はやして” 残ったなずなを茶碗に入れ水に浸します。
- この水に家族全員が指をいれ、爪を浸します。
- その後、この年初めての爪切りをします。
- これで、邪気を払うことが出来て、一年間風邪を引いたり病気になったりしません。
- また、「七草爪」をやっておけば、一年中、日を選ばずに爪切りをすることが出来ます。
- 七日の日に、風呂に入ってから爪を切る風習のある地方もあるということです。
■ 江戸時代に、
喜田川守貞
という人が書いた「
守貞謾稿
巻之二十六(春時)」に、『七草爪』についての記述があります。
正月七日 今朝、三都ともに
七種
の
粥
を食す。[編集注:三都とは、江戸、京都、大阪のこと]
(中略)
京坂は、この
薺
に
蕪菜
を加え煮る。江戸にても、小松と云う村より出る菜を加え煮る。けだし、薺をわずかに加え煮て、余る薺を茶碗に
納
れ、水にひたして、男女これに指をひたし爪をきるを、七草爪と云う。今日、専ら爪の
斬初
をなすなり。京坂には、この行をきかず。
【編集注】「
守貞謾稿
」は、天保8年(1837年)
から慶応3年(1867年)
まで、
喜田川守貞
によって30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。
【編集注】「
守貞謾稿
」は、国立国会図書館デジタル化資料で読むことが出来ます。
■ 江戸時代の「七草爪」の様子と思われる錦絵
弘化元年・1844年に、二代目歌川豊国によって描かれた『 春遊娘七草』と題する錦絵の一部。
「 七草爪」の様子と思われる。
■ 『支那民俗誌』第二巻、二百三十八頁に次のようにあると、東洋文庫「
荊楚歳時記
」の「人日」の項の注釈に書かれています。
七草のとき、七草を切って「唐土の鳥の渡らぬ先に」と歌いながらトントン調子を取りながら打つという。その鳥は 鬼車鳥(「きしゃどり」とも)という鳥で「ふくろう」の属である。この鳥が人家に入ると凶事があるし、人の爪を好むから、人々はこの夜、爪を切って庭の地面に埋める。この鳥が鳴くと凶事の前兆である。
【編集注】この鬼車鳥の言い伝えが、「夜爪を切るな」という俗信の根拠の一つにもなっているとも言われます。
【編集注】「支那民俗誌」は、昭和15年(1940年)
に、永尾龍造が表した日本人による中国民俗研究書。
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Last updated : 2024/06/28