『古今要覧稿』に見る、旧暦での『月』の由来など
十二月・師走(しわす)
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『古今要覧稿』に見る、旧暦での『月』の由来など |
〔古今要覽稿 時令〕
しはす
しはすは十二月の和名なり、師走又四極ともかけり、さて此月の名の始てみえしは、十有二月丙辰朔壬午、至二安藝國一と〈日本書紀神武天皇紀〉書記されたれど、是より前に月々の名目ありし事は、既に上にしるす如し、和歌に此月の名をよめるは、十二月爾者、沫雪零跡、不知可毛と〈萬葉集〉みえ、なにとなくしはすの空になりにけりと〈秘藏抄〉よめり、又物へまかりける人を待て、しはすのつもごりにと、〈古今集〉詞書にしるせるをおもへば、あがれる世には今の世の十一月十二月と、音をもてよばずして、しもつきしはすと、となへし事明かなり、さて此月の名義を解はじめたるは、十二月僧をむかへて、經をよませ、東西にはせはしるが故に、師走月といふをあやまれりと〈奧義抄〉いへれど、いと覺束なし、下れる世の説なれども、シハスといふが如き、シとはトシといふ詞の、ひと度轉ぜし所也、ハスといふはハツなり、スといひツといふも、その語の轉ぜし也、我國の語に、凡事の終りをば、ハツともハテともいふなり、されば萬葉集に、極の字讀てハツともいへば、俗に極月の字を用ひて、シハスともいふなるべしと、〈東雅〉辨じたるこそ的當の説にして、はるかに勝れたれ、加茂眞淵、谷川士清、楫取魚彦、藤原宇萬伎等の四人の説、自己の考の如く、此月の名義を辨じたれども、皆前に辨じたる所の、東雅の説なれば、是によりしならん、さて此月の異名を、年はつむ月と〈秘藏抄〉いひ、暮古月、親子月と〈莫傳抄〉いひ、春待月、梅初月、三冬月と〈藏玉集〉いひ、をとこ月と〈年浪草〉いへり
- 注:このページで引用した『古今要覽稿』の中の、〈 〉 の括弧は「割註」を表し、ほとんどが文中で引用された文献の表題です。
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注:「割註」とは、本文の一行の中に、ある言葉についての注釈や解説を小書きで二行に割って書き記したもの、また、そのように書き記すことで、割り書きともいわれます。
- 『古今要覧稿
』は、江戸時代の類書で、質・量ともに近世を代表するとされる。全560巻。江戸後期の国学者、
屋代弘賢
編。文政4年・1821年から天保13年・1842年にかけて成立。江戸幕府の命によって弘賢が総判となり、22年間にわたって調進呈上した。自然、社会、人文などを、神祇、姓氏、時令、地理、草木、人事などに分類し、古今の文献を引用してその起原、沿革を考証解説したもの。
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『和名類聚抄』 に見られる「月の名称」
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正月:初春
二月:仲春
三月:暮春
四月:首夏
五月:仲夏
六月:季夏
七月:初秋
八月:仲秋
九月:季秋
十月:孟冬
十一月:仲冬
十二月:季冬
『和名類聚抄』は、平安時代中期の承平年間(931年〜938年)に源順(みなもとのしたごう)の編纂によって刊行された辞書。現代の国語辞典、漢和辞典、百科事典などの要素を含む。
引用した画像は、寛文7年・1667年版(国立国会図書館所蔵) |
『下学集』 に見られる「陰暦十二月の名称」
〔下學集・下学集 上 時節門〕
大呂〈十二月〉
臘(ラウ)月〈支那十二月之祭名 レ臘、故云 二臘月 一也、臘与 レ臈同字也〉
師趨(シワス)〈十二月一年之終、諸人事繁而不 二暫居 一レ家、雖 二師匠 一亦趨走、故云 二師趨 一也〉
『下学集』は、文安元年・1444年成立。刊行は元和3年・1617年。著者は、東麓破衲 (とうろくはのう) とされるが未詳。室町時代の日常語彙約 3000語を天地、時節など 18門に分けて説明を加えた辞書。
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『倭訓栞』に見られる『しはす』の説明
〔倭訓栞・和訓栞 前編十一 志・し〕
しはす 十二月をいふ、歳極るの義なるべし、萬葉集に、昨日社年者極之賀と見えたり、俗に此月を極月といふも、はつる月の義也、漢にも歳終といふなり
『倭訓栞』(和訓栞)は、江戸中期の国学者谷川士清の編により、安永6年・1777年から明治20年・1887年にかけて刊行された国語辞書。全93巻
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Last updated : 2024/06/28