『東寺百合文書』という、京都の東寺に伝えられた日本中世の
8世紀から18世紀までの約1千年間にわたる、およそ2万5千通に及ぶ古文書群で、国宝に指定されています。また、2015年(平成27年)[
]10月には、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。
読み方は「とうじひゃくごうもんじょ」です。
『百合』は「ゆり」とも読めますが、ここでは「ひゃくごう」と読みます。
では、『
『東寺百合文書』は、文書を保存するための「百個の桐箱」からなるそうです。
これを基に読み解けば、『合』は『箱』を表しているということになります。
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ヒットするのは、碁石を入れる『
このことから、『
従って、『百合文書』は、「古文書が入った蓋の付いた百個の箱」ということになります。
『東寺百合文書』の箱には『合』の字が見られます。
『東寺百合文書』の箱に書かれた『合』の文字 各箱には、「百個のうち」という意の、「百合之内」の文字が見える。 |
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箱の裏面 「ニ函」 |
蓋の内側 「ニ函」
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箱と蓋と文書 「シ函」
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蓋をした箱 「ニ函」
(京都府立総合資料館蔵)
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『東寺百合文書』の名前の由来は江戸時代に遡るとのことです。
- 京都府立総合資料館 「東寺百合文書WEB」より -
江戸幕府をはじめ諸大名は学問を奨励し、歴史書や地誌の編纂を行います。加賀藩の第五代藩主前田綱紀も学問に強い関心を示し、日本各地に家臣を派遣して書物を求め、東寺からも文書を借り出すなどして目録の作成や文書の書写を行いました。
1685年(貞享2年) [
]、綱紀は文書の整理を終えるとともに膨大な数の文書を保存するための桐箱を百個、東寺に寄進しました。
古文書となっていた文書群は、この桐箱に納められて今に伝わることになります。文書群はこの箱に納められて伝えられてきたことから、「東寺百合文書」と呼ばれるようになりました。
東寺百合文書は、1967年(昭和42年) [
]に京都府が東寺から購入し、現在は京都府立総合資料館の収蔵庫で保管されています。史料的価値がとても高いということで、1997年(平成9年) [
]には国宝に指定されました。
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