《喜田川守貞『守貞謾稿』に見る江戸の船》
江戸時代の、江戸・京都・大阪の三つの都市を中心に、人々の営みを記した江戸時代の風俗を知る百科事典とも言われる、『
ここでは、「巻之五 生業 上」からそのいくつかを見てみます。 ■ 喜田川守貞(季荘)。文化7年(1810年)に大阪で生まれる。没年未詳)
■ 天保11年(1840年)、31歳の時、大阪から江戸に移り住む。 ■「守貞謾稿」は、天保8年(1837年)から慶応3年(1867年)まで、30年間にわたって書かれた、巻三十と、後集五からなる江戸時代後期の風俗を知る貴重な資料。 [] ■ 守貞は、一度書いたものの追加訂正などをしているが、嘉永6年(1853年)にペリー艦隊来航の報を受けて一度筆を置いている。戦争が起こるのではないかとの不安を抱いていたが、「幕府無事を旨とするにより」、さらに追書・追考を行い、慶応3年(1867年)に「百年の遺笑を思ひながら再び蔵蓄す」と結び、擱筆している。
※この内容(『守貞謾稿』)は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で読むことができます。
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歌川重宣は、江戸時代末期から明治初期にかけての浮世絵師で、二代目歌川広重(文政9年〈1826年〉- 明治2年9月17日〈1869年10月21日〉)。喜斎立祥として知られる。
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