- 文中に、「今から○○年前」というような表現が出てきます。これは毎年更新されますが、その出来事がその年の「何月」であったのかの考慮はなされていません。
- 「すし」は、『鮓』『鮨』『寿司』などの漢字を使うことがありますが、ここでは、引用した文献による表記以外は、基本的に「すし」としています。
- 引用した文献で、歴史的仮名遣いから現代仮名遣いに変えているものがあります。
- 文中、敬称を省略しています。
5. 著名作家は「すし」をどう数えているのか
- 本サイトでは、
明治、大正、昭和中頃までの作家の作品に出てくる「助数詞」を調査し、参考になる部分を用例として引用していますが、それらの作品の中に出て来た「すし」の数え方は、「一つ」、もしくは「一個」、もしくは「一切れ」で、「カン」という数え方は現時点では見当たりません。
- 明治31年・1898年に、上方噺家の
曽呂利新左衛門 の口演を基に出版された『滑稽大和めぐり』では、「二切れ」「三切れ」という表現が使われています。文章を読むと、「握り鮨」という言葉も出て来ますが、「箱鮨か巻き鮨でもいいが」と続きますので、ここでは、幾切れかに切った押し鮨か巻き鮨を指す数え方と見ることが出来るのではないでしょうか。 - 【参考】曽呂利新左衛門 口演「滑稽大和めぐり」:
握鮓 でも、出来 にやア箱鮓 でも巻鮓 でも可 いが、チヨイと二切 か三切 程 持 ツて来てんか【編集注】『滑稽大和めぐり』は、大阪生まれの上方噺家、二世曽呂利新左衛門(にせ そろりしんざえもん、天保13年10月15日 - 大正12年・1923年7月2日)の口演を、丸山平次郎が速記し、明治31年・1898年に出版されたもの。 []【編集注】『滑稽大和めぐり』に「すし」の記述があるという情報をいただきました。ありがとうございました。(2017/05/11) - 大正8年・1919年に書かれた志賀直哉の『小僧の神様』では、すし屋の「主」の言葉として「一つ六銭だよ」などと、「つ」という表現が使われています。
- 【参考】志賀直哉「小僧の神様」:「一つ六銭だよ」と主が云った。小僧は落とすように黙って其鮨を又台の上へ置いた。初出:「白樺」1920年・大正9年
- 【参考】志賀直哉「小僧の神様」:「当今は鮨も上がりましたからね。小僧さんには中々食べきれませんよ」主は少し具合悪そうにこんな事を云った。そして一つ握り終わると其
空 いた手で今小僧の手をつけた鮨を器用に自分の口へ投げ込むようにして食って了った。初出:「白樺」1920年・大正9年 - 昭和27年から昭和28年にかけて、北大路魯山人が著した『握り寿司の名人』でも、「握りが七ツ八ツ」「一個が五十円以上百円の握り」などと、「つ」「個」という表現が使われています。
- 【参考】北大路魯山人「握り寿司の名人」: さて、寿司らしい寿司にはどんな特色があるだろう。寿司らしい寿司というからには、もちろん一流の寿司であって、気の毒ながら大衆の口にはいる寿司ではない。今でも一皿、握りが七ツ八ツ盛られて、五十円とか八十円とかの
立看板 もあるが、これから話そうとする寿司は、そんないかさまものを指していうのではない。ただの一個が五十円以上百円の握 りを指すのである。
初出:「独歩」1952年・昭和27年~1953年・昭和28年 - そのほか、明治から大正の文豪と言われる夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介の作品では、「鮓」「鮨」「寿司」という言葉が出てきますが、数え方としては森鷗外の『青年』に「一皿」という表現があるのみでした。
- 【参考】森鷗外「青年」: 女中が
鮓 を一皿配って来た。瀬戸はいきなり鮪 の鮓を摘 まんで、一口食って膳の上を見廻した。刺身の醤油を探したのである。初出:「昴」1910年・明治43年~1911年・明治44年
- 明治31年・1898年に、上方噺家の
- このように、明治、大正、昭和中頃までの作家の作品の中に出て来た「すし」の数え方は、「一つ」もしくは「一個」、押し鮨や巻き鮨では「一切れ」で、「カン」という数え方は現時点では見当たりません。
- 続いて、辞典類にはどのように登場するかを見てます。
・文献などによる情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡ください。