- 文中に、「今から○○年前」というような表現が出てきます。これは毎年更新されますが、その出来事がその年の「何月」であったのかの考慮はなされていません。
- 「すし」は、『鮓』『鮨』『寿司』などの漢字を使うことがありますが、ここでは、引用した文献による表記以外は、基本的に「すし」としています。
- 引用した文献で、歴史的仮名遣いから現代仮名遣いに変えているものがあります。
- 文中、敬称を省略しています。
8. 「一カン」とは、いくつのこと?
- 「一カン」はいくつなのかを調べてみると、「一つ」であるという人と「二つ」であるという人がいることが分かりました。
- 「二つ」であるとする根拠の一つは、すし屋で例えば「まぐろ」と注文すると、つけ台に二つ揃えて出て来ることがあるので、それが「一カン」と答える人がいました。
- また、すし屋で聞いてみると、「一つ」と言う主人と「二つ」という主人がいました。
- 従って、これは「一カン」と呼ばれ始めた時期がはっきりしないのと同様に、「一つが正しい」、「二つが正しい」とは言い切れないように思われます。
- 『広辞苑』が、初めて「かん」を「握り鮨を数える語」として掲載したのは第六版 (平成20年・2008年[])であったことは前項で触れましたが、ここでは「一個あるいは二個」と、次のように書かれています。
【かん】広辞苑
[初出:第六版 平成20年・2008年()]
『(多くカンを表記。「貫」「巻」とも書く)握り鮨を数える語。一個ずつあるいは二個一組をいう』 - ただし、「4.」で述べた通り、『すし技術教科書 江戸前ずし編』(昭和50年・1975年[])には、にぎりずし一つを「一かん・一カン」と数える表現が出てくることから、「一カン」は「一つ」が優勢とも言えそうです。
- しかし、また一方で、前述の『すし技術教科書』に見られるシャコの巻き方の、「太目のノリ帯をかけて、二つ切りにし、尾も切りそろえ、二かんとする」から考えると、二つに切る前の大きなものも「一カン」であり、それを二つに切ってもそのまま「一カン」と数える人がいてもおかしくはなく、一方、二つになったものをそれぞれ「一カン」と考える人がいてもおかしくはないということになります。
- また、「9.」の『カンの由来』で後述しますが、明治から大正時代にかけて、俗に10銭を一貫と称したことがあることから、一個5銭くらいのすし二個を「一貫」と呼んだのではないかとする説があり、仮にこれが正しければ、「一カン」は「二つ」ということになります。ただし、明治・大正・昭和とすし店を営んだ倉田華太郎(明治29年・1896年〜昭和51年・1976年)の言を借りれば、『すし技術教科書』の中で、『大正初期に二個づけはなかった』と記述しており、二つを一つの括りとして数えたことは明治時代にはなかったことになります。
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『すし技術教科書 江戸前ずし編』
明治・大正時代の江戸前ずし店
倉田華太郎
大正初期で屋台のすしが一個一銭五厘から二銭、内店で五銭だったでしょう。当時は今と違って二個づけはありません。ただし、一個の大きさがうんと大きく、一口では食べきれませんでした。
『すし技術教科書 江戸前ずし編』 第一版:昭和50年・1975年
改訂版:平成元年・1988年
全国すし商環境衛生同業組合連合会監修
倉田華太郎・「すし栄」三代目
(明治29年・1896年〜昭和51年・1976年) - いずれにせよ、すし屋ではすし種で注文することが多く、「一カン」と注文する人はあまりいないということで、もし「一カン」と書いてあって、いくつなのか気になる場合は聞いてみるのが肝要かと思われます。
- 「二丁づけ・二個づけ・二カンづけ」などといって、一つの「種」を二つずつ出す習慣があるようですが、これが一般的になったのは戦後のことといわれています。『すし技術教科書 江戸前ずし編』などによれば、昔のにぎりずしは一口半が標準とされるくらい大きかったということです。
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- この二つずつ出す習慣については、明治・大正・昭和とすし店を営んだ倉田華太郎(明治29年・1896年〜昭和51年・1976年)は、『すし技術教科書 江戸前ずし編』の中で、『大正初期に二個づけはなかった』と記述していることは前述の通りです。
- また、前述の
吉野曻雄 も、平成2年・1990年()に著した『鮓・鮨・すし すしの辞典』(昭和45年・1970年から、百回にわたって「近代食堂」で書いたものを再構成したもの)で、『昔の握りずしは、ひと口半ないしふた口でやっとという大きさ』『二つずつ供するのが一般的になったのは、小ぶりになった戦後から』と書いています。『鮓・鮨・すし すしの辞典』吉野曻雄
ついでにふれておくと、今と違って昔の握りずしはずっと大きく、とうていひと口では食べられず、ひと口半ないしふた口でやっとという大きさであった。だから、一貫ずつ握って供するのが当然で、今のような二貫づけは、戦前はごく一部の店に限られ、すし飯の量が減ってすしが小ぶりになった戦後から一般的になった供し方である。握りずしは、だから、今のように十個も二十個も食べられるものではなく、ちょっと小腹をふさぐスナックとして主に食べれられた。屋台ずしで人々は、銭湯からの帰り道でちょっと二個か三個つまむ、という食べ方をしていたのである。五個も食べようものなら、満腹もいいところであった。
『鮓・鮨・すし すしの辞典』 平成2年・1990年 P70
吉野曻雄・「吉野鮨本店」三代目
(明治39年・1906年〜平成3年・1991年)
『鮓・鮨・すし すしの辞典』は、昭和45年・1970年から、百回にわたって「近代食堂」で書いたものを再構成したもの。 - ちなみに、前述した宮尾しげを著『すし物語 』(昭和35年・1960年[]に、「二つ揃えてだす」という表現が出てきて、一つでは傾くので、これを防ぐ技術であるとの説明がなされています。
『すし物語』 宮尾しげを
[九] すしの材料 -2- すし米
すし屋のツケ台の前に坐ったとき、タネを注文すると、かならず、にぎりは二つ揃えてだす、これは左右の湾曲と、上下のそりがあるので、一つだけだと腕のいいにぎり手でも、右と左へわずかばかり傾むくことになる、その傾むきを、二つにつけて防ごうという、調理士の手品で、一つしか食べたくない時は、一個と注文して、二個ならぶのを、こちらから防ぐことである。
『すし物語』昭和35年(1960年)
井上書房 P85
宮尾しげを(明治35年・1902年〜昭和57年・1982年) - また、『すし技術教科書 江戸前ずし編』に、「二個づけ」という表現が出てきます。
『カウンターでは二個づけが普通だが、その二個がそろっていないようでは、とうていプロとは言いがたい』『すし技術教科書 江戸前ずし編』 第一版:昭和50年・1975年
改訂版:平成元年・1988年
全国すし商環境衛生同業組合連合会監修 - 次の項では、「カン」と数える由来を探ってみます。
・文献などによる情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡ください。